古書店で待っていた本

雨宿りに入った古書店で、静流は自分の名前を見つけた。正確には、一冊の小説の見返しに、七緒の字で〈静流へ〉と書かれていた。

その本は高校一年の冬、七緒から借りたものだった。町を出た少女が、何年後かに別人のような顔で戻る物語。静流は転校してきたばかりで、誰とも話せずにいた。七緒だけが窓際の席へ本を置き、「これ、今のあなたに似てる」と言った。

二人は急速に親しくなった。だが三年生の夏、静流が東京の専門学校へ進むと知ると、七緒は冷たくなった。

「また転校みたいに消えるんだ」

「進学だよ。七緒だって遊びに来ればいい」

「そうやって、残る方を簡単に言わないで」

静流は腹を立て、「町から出ない言い訳に私を使わないで」と言った。七緒は本を返してと手を出したが、静流は「読み終わってない」と鞄へしまった。それが最後の会話になった。

卒業後、静流は東京へ出た。数年して実家が引っ越し、連絡先を失った。借りた本も、ある時から見当たらなくなった。母が荷物と一緒に古書店へ売ったのだろうと諦めていた。

見返しの〈静流へ〉の下には、知らない時期の文字が続いていた。

〈この本が店に並ぶ頃、私はこの町を出ます。あなたに言われたからではなく、自分で決めました。もし見つけたら、もう一度だけ最後まで読んでください〉

店主によれば、本は七年前に持ち込まれたという。静流が偶然手に取るまで、長いあいだ百円の棚にいた。

静流は本を買い、近くの喫茶店で最終頁まで読んだ。少女は故郷へ戻らなかった。戻れないからではなく、故郷を持ったまま別の町で暮らすと決めていた。

七緒の現在は分からない。探せば会えるかもしれないが、まず過去の彼女が託した読了だけを果たそうと思った。

店を出る前、静流は見返しの余白へ書いた。

〈読み終えました。私も、残る人の痛みを簡単に言わない〉

本はもう売らなかった。鞄に入れ、これから暮らす町へ持ち帰った。今度は借りたままではなく、自分で選んで持っていく一冊として。