同居人の訂正印

瑞希は、書類に書いてあることは守る。朋佳は、納得できない欄は空けて出す。

賃貸契約の更新書類には、〈緊急連絡先は親族に限る〉と印刷されていた。

瑞希の両親は海外で連絡がつきにくい。朋佳は母と絶縁している。二人は三年前から互いを緊急連絡先にしてきたが、管理会社が変わり、今回は認めないという。

「規則なら、父の番号を書く」

瑞希は言った。

「緊急時につながらない番号に何の意味があるの」

「空欄なら更新できない」

「意味のない欄を埋めるために、意味のない人を書くの?」

口論は夕食まで続いた。

翌日、管理会社から電話があり、親族を書けないなら保証会社の追加費用が必要だと言われた。二人分で四万円。朋佳は怒り、瑞希は規約を読み直した。

親族限定の理由は、どこにも書いていなかった。

瑞希は、管理会社にも事情があるはずだと考えた。朋佳は、「事情」という言葉で家族を持たない人だけが余計に払う仕組みを包むのは嫌だった。二人は相手を頑固だと思いながら、書類を並べて同じ箇所へ付箋を貼った。

「窓口で聞く」

瑞希が言う。

「電話でいいじゃん」

「書類を見せて、回答も書いてもらう」

朋佳は面倒そうな顔をしたが、翌朝、一緒に休みを取った。

管理会社の窓口で、担当者は「皆さんそうしています」と繰り返した。瑞希は規約の該当箇所を指し、朋佳は、親族のいない人や連絡を取れない人をどう扱うのか尋ねた。

答えは曖昧だった。担当者は、親族でなければ責任が取れないと言った。朋佳は、緊急連絡先に金銭責任はないはずだと規約を示し、瑞希はその説明を回答欄へ書いてもらうよう頼んだ。

瑞希は更新書類の〈親族〉に一本線を引き、横へ〈同居人〉と書いた。規則を勝手に直すことに、手が少し震えた。

朋佳も自分の書類を引き寄せた。空欄のまま出すつもりだったが、瑞希の名前と電話番号を書く。

「私も書く」

瑞希は朋佳の番号を書いた。

二人は家族ではない。家族の代わりだと言うつもりもない。別々の収入があり、別々の将来があり、いつか同居を終えるかもしれない。ただ、火事や事故のとき、今いちばん早く駆けつけられる相手であることは事実だった。

担当者が責任者を呼びに席を立つ。

瑞希と朋佳は、訂正印を同じ赤い朱肉へ押した。