名札を剥がす夜
宇賀神ミナは、居酒屋のテーブルに三枚の名札を貼った。国際交流サークルのイベントで使っていた、名前と話せる言語を書くシールだ。
〈ミナ/日本語・英語〉
〈国府田惇/日本語・インドネシア語少し〉
〈周防院ルカ/日本語・フランス語〉
「最後の飲み会まで名札いる?」と惇が笑う。
「名前を間違えないため」
「四年一緒にいて?」
「最後だから」
大学は国際交流事業を外部業者へ委託し、学生サークルの活動を終了させる。安全管理と公平性のため、と説明された。三人が作った歓迎会も相談会も、来年度からは予約制のプログラムになる。
ミナはジャカルタの物流会社へ赴任する。
「今度は私が、言葉の分からない側になる」
「歓迎会に行けよ」と惇が言う。
「業者のやつ?」
「安全で公平なやつ」
惇は故郷の日本語学校で働く。大学では「交流」を掲げながら、留学生を無料の語学講師のように扱ったことを悔やんでいた。
「話したいことより、話せる言葉を先に聞いてた」
ルカは法科大学院へ進み、難民支援に関わりたいという。
「救うって言わないんだね」とミナが聞く。
「救う側にいると思った瞬間、相手の名前を見なくなるから」
三人は黙って名札を見た。ミナの本名はもっと長いが、初対面の人が読みやすいよう短くしていた。ルカは外国風の名だが、海外に住んだことはない。惇の「少し」は、四年間で消せないままだった。
「解散後も三人で会う?」
惇の質問に、ミナは赴任先の時差を言い、ルカは司法試験の日程を言った。断る代わりに予定を説明するのが、大人になることのようだった。
会計を済ませる前、三人は名札を胸へ貼った。粘着が弱く、何度も剥がれた。
「じゃあ、自己紹介から」とミナが言う。
「今さら?」
「今まで、サークルの役割でしか話してなかったから」
三人は名前と、春から行く場所だけを言った。好きなものも、怖いものも言わなかった。全員の人生を知るには、終電が近すぎた。
店を出る時、惇とルカは名札を剥がして捨てた。ミナだけは胸に残したが、駅へ向かう途中で落ちた。
翌朝、店員がテーブルの脚に貼りついた三枚のシールを見つけた。名前は読めた。話せる言語の欄だけが、こぼれた酒で滲んでいた。