四時四十二分の停止
杏子が仕事の画面を閉じたのは、午前四時四十二分だった。
朝九時までに送ればいい資料を、念のため、念のためと直し続けた。文字の位置、数字の幅、余白の一ミリ。見れば見るほど間違っている気がして、保存の回数だけが増えた。
ベランダの向こうは、まだ夜の色だった。
杏子はマグカップを持って外へ出た。コーヒーは冷え、空調の風で表面が小さく揺れる。
足元の室外機が回っている。
隣の建物の室外機も回っている。
向かいの屋上の大きなファンも回っている。
町じゅうが眠らず、杏子の修正を待っているような音だった。
四時四十五分、向かいのファンが止まった。
少し遅れて隣の室外機も止まる。
最後に、杏子の足元の羽根がゆっくり速度を落とし、かすかに震えて黙った。
静けさの中で、下の道路から車輪の音が近づいてきた。
新聞配達の小さな台車だった。人の姿は街路樹に隠れ、手元だけが見える。郵便受けの蓋が、かたん、かたん、と順番に開閉する。
一つ。
二つ。
三つ。
配る人は見上げない。杏子の部屋に新聞は届かない。それでも、誰かが夜の終わりを一軒ずつ置いていくように聞こえた。
台車の音が角を曲がる。
空がわずかに薄くなる。
室外機はまだ動かない。
杏子はスマートフォンで八時二十分に目覚ましをかけた。資料は送信せず、予約送信を八時三十分に設定する。起きて見直す時間は十分だけ。それ以上は触らない。
冷えたコーヒーを流しへ捨て、カップをすすぐ。机の照明も消した。
予約送信の小さな時計印が画面に残った。杏子が起きなくても、資料は決めた時刻に動き出す。下の道路では配達の台車がもう聞こえず、代わりに最初の鳥が一声だけ鳴いた。夜を自分一人で朝まで押していたわけではないらしい。杏子は保存時刻の一覧を閉じ、同じ資料を直した回数を数えるのもやめた。
完璧になったわけではない。夜が終わったから、いったん手を離すだけだった。
杏子はカーテンを閉めず、明るくなり始めた窓を残して横になった。町の機械が休む短い時間に、自分も同じだけ休んでよい気がした。