図書室の返却日
「返却日は守ってください」
学院図書室の司書教諭コルネ・ジルは、本を借りる生徒全員にそう言った。背表紙を直し、破れた頁へ薄紙を貼り、閉館後には返却箱の砂まで払う。声を荒らげることもなく、英雄譚を薦められても「分類は九番棚です」としか答えなかった。
読書好きの少女エダは、閉館間際に一冊の本を返しに来た。貸出台帳には、百年前から未返却の本が一冊だけ残っている。
その本が自ら棚から抜け、表紙を開いた。
頁の奥から書喰い竜が這い出す。知識を食べ、読んだ者の記憶を白紙にする魔獣。魔王の書庫を守り、勇者に封じられた存在だった。
『返却に来たぞ、封書の勇者。世界中の物語を喰ってな』
コルネは貸出印を持ち上げた。
「延滞料が高くつきますよ」
印を一度押す。
竜の額に赤い《返却済》の文字が浮かんだ。次の瞬間、何十丈もある身体が頁ごとに分かれ、逆向きに本へ吸い戻される。爪も炎も咆哮も、最後には一行の活字となった。コルネが表紙を閉じると、世界を喰う竜は一冊の薄い本に戻る。
エダだけが返却台の横で、その光景を見ていた。
エダは閉じられた本の背に、消えかけた題名がいくつも浮かぶのを見た。書喰い竜が飲み込んだ物語らしい。コルネなら英雄の証拠として公開せず、まず一冊ずつ複写し、失われた棚へ返すだろう。怪物を倒した一秒より、その後の修復に長い夜を使う人だ。少女は秘密の誓いを口にせず、机から鉛筆を二本取った。
コルネは本へ鎖を掛け、禁書庫の最下段に収めた。床に散った文字を刷毛で集め、インク瓶へ戻す。焦げた貸出票を新しく書き直し、百年分の延滞欄には一本の線を引いた。図書室は再び紙の匂いだけになる。
「先生が、封書の勇者だったんですね」
「図書室では肩書より利用者番号が重要です」
「誰にも言わないほうがいい?」
コルネはエダの返した本を受け取り、期限印を確かめた。
「その本は期限内です。ですから、今日は何も問題ありません」
彼女は帳簿を閉じ、禁書庫の鍵を胸元へ戻す。
最後の灯りを消す前、静かな声がもう一度響いた。
「返却日は守ってください」