声帯の遺失物

遺失物係の小清水永遠は、声だけが入った透明なケースを拾った。

中身は喉へ貼る小型振動板。再生すると、半年前に失踪した歌い手・透羽の声がした。息がない。唇の音もない。声帯の震えだけを抜き取った、身体のない歌だった。

ケースには注意書きがある。

「拾わないで」

透羽は顔も本名も隠して活動していたが、住所を特定され、駅で追い回された翌日に消えた。ファンは彼女の声さえ残ればいいと、過去配信から合成モデルを作り続けた。永遠もその一人だった。失踪後、彼女の声を再現するソフトを何度も試し、似ているほど救われた気がした。

「拾わないで」

一度だけ、振動板を喉に当てて曲を再生する。イントロで永遠の首が震え、自分の口から透羽の声が出た。Aメロは驚くほど自然だった。音程も息継ぎも装置が支え、永遠は何も知らないのに彼女として歌える。

サビで鏡の画面に透羽のアバターが映る。観客はいない。それでも再生数は増え、ファンの端末が振動板を探知して接続してくる。コメント欄には「帰ってきた」「中の人は誰でもいい」と文字が流れた。

永遠は陶酔しかけた。自分が代わりになれば、透羽は永遠に失踪しない。

その瞬間、曲の裏から生の環境音が聞こえた。海辺の診療所、手話で笑う人々、紙へ鉛筆を走らせる音。画面には現在の透羽が映る。喉の手術痕があり、声は出ない。それでも穏やかな顔で、別の名前の名札を付けて働いていた。

彼女は声を奪われたのではない。声だけを駅へ捨て、追跡するファンをそこへ集めている間に、人として逃げたのだ。

最後の一音で振動板が停止し、永遠の喉へ自分の掠れた声が戻る。

画面に三度目の警告が出る。

「拾わないで」

落とし物に触れるなという意味ではない。捨てられた声を拾って歌い手の人生まで着込み、誰でも代われる偶像として生き直させないでほしいという願いだった。

永遠はケースを保管庫へ入れず、本人の代理人へ返送した。宛名には、透羽ではない新しい名前が書かれていた。