夕暮れの投球練習
女子野球部のマネージャーだった私は、卒業前に一度だけマウンドへ立った。
最後の大会が終わり、三年生の引退式も済んだ。夕暮れのグラウンドで、私は使い終わった保冷箱を洗っていた。
捕手だった彼女が、ボールを一つ投げてきた。
「投げて」
「無理」
「三年間、フォームに口出した」
「外から見れば分かる」
「じゃあ自分でやって」
私は渋々マウンドへ上がった。スカートではなくジャージだったのが救いだ。
彼女はホームベースにしゃがみ、ミットを構えた。
「真ん中」
第一球は手前で跳ねた。
「ナイスワンバウンド」
「うるさい」
二球目は大きく右へそれた。三球目は頭上。彼女は笑いながら全部止めた。
「マネージャー、制球悪い」
「選手が言うこと聞かないから」
「それは関係ない」
十球目で、ようやくミットへ届いた。乾いた音が夕方の校舎へ返った。
「ストライク」
彼女が大げさに立ち上がった。
私は思わず笑った。試合中、何度も聞いた音なのに、自分の球で鳴ると違って聞こえた。
「もう一球」
今度は彼女が言う前に構えた。
二十球ほど投げると、肩が熱くなった。彼女は保冷箱から冷たいタオルを出し、私へ投げた。
「マネージャーが使っていい?」
「今日は投手」
首へかけると、三年間渡し続けた冷たさが初めて自分のものになった。
「選手、楽しかった?」
彼女が聞いた。
「十球に一球しか入らないけど」
「それでも」
「楽しかった」
少し悔しかった。もっと早く投げてみればよかった。支えることを選んだからといって、やる側への憧れまで捨てる必要はなかったのだ。
最後の一球は、真ん中より少し低かった。彼女はミットを下げ、きれいに受けた。
「今の、公式記録にして」
「何て書く?」
「マネージャー、卒業前初勝利」
「相手いないけど」
「私に勝った」
彼女はミットを外し、右手を上げた。
私はマウンドから走り、ホームベースでハイタッチした。
夕暮れのグラウンドに、選手とマネージャーの境界線はもうなかった。
翌日、スコアブックの最後の欄に一球だけ丸をつけた。誰にも提出しない、私自身の公式記録だった。