夢を食べられた王子の夢戻し香
王子エイデンは、王冠ではなく枕を抱えて薬屋へ来た。
「夢を返してほしい」
店主ミモザは枕の縫い目を調べた。黒い噛み跡がある。夢喰いに襲われた印だ。
エイデンは未来を夢に見る力を持つ。今夜までに東西どちらの水門を開けるべきか見なければ、雪解け水が城下へ溢れる。大臣たちは予言だけを頼り、現場へ確かめに行く時間はもうないと言った。
「予言の力が欲しいのではない。昨夜見た夢だけ戻ればいい」
「覚えていない夢を、どうやって指定します?」
「起きたとき、右手に泥がついていた。水門へ行く夢だったはずだ」
ミモザは枕の糸を一本抜き、青い香炉へ入れた。
棚から出したのは、一包だけ残っていた夢戻し香。
「夢喰いが飲み込めなかった欠片を、匂いで呼び戻します。見られるのは一度。眠らず、目を開けたまま」
「失敗したら?」
「次はありません」
香へ火をつけると、雨上がりの土の匂いが満ちた。
煙は王子の周りだけを流れ、瞳へ吸い込まれる。店の壁が水面のように揺れた。
エイデンは目を開けたまま、夢の中へ立つ。
東の水門。錆びた鎖。開ければ濁流。
次いで西の水門。堤防の下に眠る獣の影。
どちらも危険だった。夢の中で鐘が鳴るたび、城下の屋根が水へ沈んでいく。
「答えがない」
王子の声が焦る。
ミモザは香炉へ触れずに言う。
「夢は未来ではなく、選ばなかった結果も見せます。あなたの右手の泥を探して」
煙の底で、第三の景色が浮かぶ。
王子自身が泥へ膝をつき、東門の脇にある古い排水路を掘っていた。門を開くのではない。小さな詰まりを取れば、水は畑へ逃がせる。
エイデンは現実へ戻ると同時に、紙へ地図を描いた。
「これだ」
彼は王家の金貨を置き、香の灰まで丁寧に包む。
「代金と、残りの香を」
「今ので最後です」
「なら次の一包を作ってほしい。予言のためではない。夢を奪われた子どもへ渡す」
王子は枕を抱え、排水路へ走った。
夜明け前、城下を呑むはずだった水は畑の水路へ静かに流れた。
ミモザが空の棚へ『夢戻し香・予約品』の札を置く。
直後、枕を抱えた小さな客が扉の鈴を鳴らした。