影法師は笑顔を撮らない

写真館「陰日向」の撮影台には、黒い布が一枚垂れている。

梨花が古い家族写真を出すと、店主の影路は布の奥から長い指だけを伸ばした。

「笑うな、ぶれる」

影法師の彼は、笑顔を作る人間が嫌いだという。証明写真でさえ「口角を上げろ」と言われる世の中に、毎日腹を立てていた。

梨花が頼みたいのは、十年前の写真から父を消すことだった。

来月の結婚式で流す映像に、幼いころの写真を使う。両親は五年前に離婚し、父とは連絡を取っていない。母を傷つけた人を、祝いの席へ映したくなかった。

「右端の人を消してください」

「簡単だ」

影路は即答し、黒い布を写真へかぶせた。

「ただし、影も消える」

「影?」

「見れば分かる」

暗室から戻った彼は、二枚の写真を並べた。

一枚は父だけがきれいに消えている。けれど梨花の顔の半分も、不自然に明るく平らになっていた。

もう一枚は元のまま。ただし拡大され、父の視線がはっきり見えた。カメラではなく、笑いすぎて目を閉じた幼い梨花を見ている。

「だからって、したことが消えるわけじゃない」

「消えない」

「私を大事にしていた証拠にもならない」

「ならない」

影路は慰めず、父を消した写真と残した写真を一枚ずつ封筒へ入れた。

「人間は一枚へ全部の真実を詰めたがる。嫌いだ。傷つけた顔と、見守った顔が同じでも不思議ではない」

「どちらを使えば」

「式で誰に何を見せたいかは、お前が決めろ。写真に裁判をさせるな」

梨花は父を消した写真を映像用に選んだ。

もう一枚は、父へ送ることにした。招待状ではない。ただ、自分が結婚することと、返事はいらないと書き添える。

会計のとき、影路は黒い布を梨花の肩へ一瞬かけた。

写真を撮るわけでもないのに、黒い布は不思議と温かかった。

「笑うな、ぶれる」

「今日は笑ってません」

「知っている」

布の奥で、影路の輪郭が少しだけ揺れた。

「ぶれても残したい顔には、無理に笑わせるなという意味だ」

梨花が店を出ると、夕日で影が長く伸びた。

その影は一人分なのに、歩くたび形を変えた。