役に立たない質問
鈴原眞尋は、期間の決まった関係に深入りしなかった。出張先の同僚には最寄り駅を、短期講座の受講生には資料の場所を訊く。好きなものや休日の過ごし方は、別れたあと役に立たない情報だと思っていた。父の転勤で子どものころから何度も町を変え、親しくなった人ほど別れ際に困った。大人になってからは、期間が決まった場所では最初から浅く付き合う。寂しくならない代わりに、相手が去ったあと何を寂しがればいいのかも分からなかった。連絡先だけが増え、思い出せる声は少なかった。契約の短い仕事を何度か移り、親しくなった人の送別会へ出るたび、次の職場でまた一から話すことに疲れた。最初から必要事項だけにしておけば、最後の日も名残惜しくならない。眞尋はそれを身軽さと呼んでいた。
研究施設へ一か月派遣され、眞尋は百瀬多恵と職員住宅を共有した。多恵は海鳥の調査員で、朝は暗いうちに出て、夕方は羽根や砂を連れて帰った。二人の会話は、ごみの日、風呂の順番、鍵の置き場所だけで十分だった。多恵が帰宅時に小さな貝殻を窓辺へ置いても、眞尋は由来を訊かなかった。訊けば話が続き、話が続けば、退去後にも思い出すものが増えるからだ。
退去まで三日となった夜、多恵が荷造りをしながら訊いた。
「別れるまでに、役に立たないことを一つ知りたくない?」
「連絡先なら交換できます」
「それは役に立つね」
多恵は笑い、空の双眼鏡ケースを閉じた。
「明日、私に用事のない質問を一つして」
何を訊けばいいかは教えなかった。
翌朝、多恵は早く出る予定だった。眞尋が起きると、玄関で長靴の紐を結んでいる。冷蔵庫の中身を捨てるか、合鍵をどこへ返すか。必要な質問はいくつも浮かんだ。どれも答えを聞けば、その場で用事が終わるものだった。多恵が去ったあとに残る答えを選ぶことは、眞尋が避けてきた無駄そのものだった。
「牛乳、残ったら飲んでいいですか」
口にしかけて止めた。三日後には知らなくていいことだ。
窓の外には、細く伸びた雲が浮かんでいた。多恵は毎朝空を見てから出る。それが天候確認なのか、ただ見ているのか、眞尋は知らない。
多恵が扉へ手を掛ける。
眞尋は、呼び止めた。
「多恵さんは、どんな形の雲が一番好き?」
用事のない質問が、初めて二人のあいだに残った。