忘却の盾
一度目の斬撃を受けたとき、母がギュネスを忘れた。
剣《忘れ盾》は、使い手に届く致命傷を必ず防ぐ。その代わり、使い手を愛する者一人の記憶から、彼の存在を消す。剣を受け取った夜、鍛冶師は『愛されていない者なら無敵になれない』と笑った。ギュネスは妻と娘の寝息を思い浮かべ、三度だけは死ねないと思った。三度守れば、その三人の中で自分は最初から生まれなかったことになるとも知らずに。
処刑兵の大剣は確かに胸へ入った。だが刃は鎧の上で砕け、家の戸口にいた老母が突然叫んだ。
「知らない男がいる!」
ギュネスは振り返らなかった。母が幼い彼の熱を看た夜も、初任給で贈った青い肩掛けも、今の叫びと同時に母の人生から抜け落ちた。振り返れば、その空白へ自分まで落ちそうだった。
家の中には妻と娘がいる。三人を逃がすまで、道を塞ぐ。それだけでいい。
二人目の処刑兵が槍を突き出す。腹を貫くはずの穂先が火花となって散った。
妻の声がした。
「あなた、誰?」
その一言は、槍より深く入った。
ギュネスは敵の喉を斬り、戸口へ下がる。妻は娘を抱き、見知らぬ兵士を見る目で彼を警戒していた。壁には三人で描いた家族画がある。中央の父親だけ、紙の白さへ戻っている。
「裏口から森へ行け」
「なぜ私たちを助けるの」
「仕事だ」
そう答えるしかなかった。
最後の処刑兵は弓を引き、娘へ狙いをつけた。ギュネスは射線へ入る。
剣が鞘の中で震えた。
次に守れば、残るのは娘の記憶だ。五歳の彼女は、毎晩彼の名を呼んで眠った。忘れられたくない。死ぬほど、忘れられたくない。
矢が放たれる。
ギュネスは動かなかった。
矢は心臓へ届く寸前に灰となった。
娘の泣き声が止む。
彼は処刑兵を斬り、道を開けた。外は静かになった。
妻が娘の手を引いて森へ走る。娘は一度だけ振り返り、血まみれの男を見た。
「おじさん」
ギュネスは笑おうとした。
「パパを見なかった? きっと私たちを助けに来るの」
胸には傷一つない。
それなのに彼の名を知る者は、この世から一人もいなくなっていた。