扉を開けずに消えた囚人
王立監獄から最初に逃げたのは、凶悪犯ではなく、鶏泥棒だった。
朝の点呼で、独房の鍵は閉まり、鉄格子にも傷一つない。寝台の上には囚人服だけが畳まれていた。昼には泥棒が町の酒場で、自分の脱獄を自慢して捕まった。
監獄長エボルンが胸ぐらをつかむ。
「どうやって出た!」
「面会人にもらった帰還札を破っただけさ。昨日までは何度試しても光らなかったのに」
結界師ネルドが張っていたのは、壁を厚くする防壁ではない。囚人一人ずつの魔力を登録し、転移、召喚、入れ替わりだけを独房内へ戻す結界だった。鍵や看守の仕事を邪魔しないため、発動しても音すらしない。
エボルンは「扉があるのに二重の守りは不要」とネルドを解雇した。その翌朝、最弱の囚人が扉へ触れず外へ出た。噂が広まり、他の囚人たちは一斉に隠し札を探し始めた。
同じ頃、ネルドは民営銀行の金庫室にいた。頭取エルティが試験用の金塊へ転送札を貼り、破る。光は一度金塊を包み、そのまま元の台へ戻った。
「金庫の扉を壊さず、遠くから盗む手口まで防げる」
「金塊そのものを登録しました。職員は普通に運び出せますが、無許可の転移だけ戻します」
「監獄では囚人扱いだったそうだが、ここでは資産防衛部長として迎える」
銀行員たちは、ネルドへ金庫の全鍵ではなく、結界運用の最終決定印を渡した。
午後、監獄の看守が息を切らして駆け込んだ。
「帰還札が百枚見つかった! 監獄長が今すぐ戻れと。給金も部屋も倍にする!」
ネルドは新しい決定印を金庫台帳へ押した。
看守は給金と部屋を倍にすると繰り返したが、権限については何も言わなかった。監獄では、ネルドが危険な面会札を禁止するよう求めても、監獄長が賄賂目当てで許可していた。結界だけに責任を押しつける職場だった。銀行では逆に、彼の決定印があれば、頭取の命令でも危険な転送を停止できる。守る責任と止める権限が同じ手にある。ネルドは金塊より、その当然の仕組みに価値を感じた。鶏泥棒一人で気づけなかった監獄へ戻る気はなかった。
「王立監獄との契約は、今朝で終了しています」