拍手が終わる前に
城之内ミサキの最後の舞台では、歌わなかった一行が巨大スクリーンに残った。
元舞台監督の塩谷有希は、事故調査のためライブ映像を再生していた。曲は一度きりの新曲。最後のサビで照明が白く弾け、ミサキが長い音を伸ばしたあと、伴奏だけが急に止まる構成だった。
本来、その四拍は完全な静寂になるはずだった。観客が息を止め、ミサキがマイクから離れる靴音まで一つの演奏になる。彼女はその空白を、曲の中で最も大事な「最後の一音」と呼んでいた。
リハーサルでミサキは有希に念を押した。
「拍手しないで。最後の息まで聴かせたいから」
ところが本番、有希は事務所の指示で自動拍手音を仕込んだ。盛り上がりが足りない映像は売れない、と言われたからだ。自動拍手は観客の反応が遅れた時にだけ足す約束だった。けれど有希は、本番の緊張に耐えられず、最後の高音が伸びた瞬間に先回りして再生した。会場は録音された熱狂に引っぱられ、本物の異変を見る目を失った。
最後の高音で、ミサキの膝が崩れる。観客は演出だと思い、仕込まれた拍手に合わせて手を叩く。スクリーンには歌詞データにない一行が出る。
〈拍手しないで〉
音響担当は入力していないと言う。ミサキの声も、そこでは鳴っていない。
有希は生音だけを抽出した。拍手トラックを消すと、床へ倒れたミサキがマイクを指で叩く音が聞こえる。短く三回、長く三回、短く三回。そのあと、息を吸えない喉の音。
スクリーンの字幕システムは、事前登録されたリハーサル音声と指のリズムを照合し、最も近い言葉を表示していた。
表示された警告は、もう演出上の注文には聞こえなかった。
ミサキは静かな余韻を求めていたのではない。拍手に隠された救難信号を聞いてほしかったのだ。
映像では、観客が笑顔で立ち上がる。救護班が異変に気づくまで一分四十秒。心停止から、その一分が致命的だった。
最後の再生で、有希は拍手トラックを完全に消した。
「拍手しないで」
同じ言葉が、今度は演出上の注文ではなく、自分が押した再生ボタンへの告発に聞こえた。
静寂の中、ミサキの指だけが、まだ助けを呼んでいた。