指輪を忘れる護符

サフィアは、護衛隊へ戻るダリオのために「一度だけ死を避ける護符」を買った。

二人は同じ隊で出会ったが、サフィアは負傷を機に地図工房へ移った。ダリオは前線へ残り、帰還のたび「次こそ辞める」と言いながら、欠員が出るとまた剣を取った。待つ側になったサフィアは、そのたび自分の時間まで止められるように感じていた。愛することと待つことが、同じ意味になるのが怖かった。

店主は空の小箱を差し出した。

「この護符は、封じた記憶を燃やして持ち主を一度だけ守る。燃えた記憶は、あなたから消える」

「どんな記憶でも?」

「どんなものでも一つ」

どうでもいい朝を選べばよかった。昨日食べた豆の味。洗濯物を取り込んだ時刻。市場で値切りに失敗した会話。

けれどサフィアは、ダリオに求婚された夜を選んだ。

出発前、彼は銀の指輪を彼女の指にはめ、「帰ったら式をしよう」と言った。サフィアは嬉しかった。同時に、待つ人になることを決められたようで腹も立った。返事をしないまま、今朝も喧嘩別れをした。

工房には、遠方の地図を測る仕事の話が来ていた。受ければ彼の帰還には間に合わない。断れば、また誰かの予定に合わせて自分の道を畳むことになる。求婚の記憶は幸福であると同時に、まだ出していない返事の重さだった。

「あまりに大切な記憶ではありませんか」と店主が訊く。

「だからです」

護符が燃えるほどの危険から生きて帰ったなら、約束に縛られて迎えたくない。求婚を忘れた自分が、それでも彼を選ぶのか確かめたい。

サフィアは小箱へ指輪の記憶を入れた。

月明かり。気まずそうに膝をつくダリオ。大きすぎる銀の輪。返事を待つ目。その全部が青い火になり、小箱の内側へ封じられた。

護符を伝書鳥へ結びつけた瞬間、遠い北の方角で青い光が走った。

小箱は空になった。

サフィアの左手には、見覚えのない指輪がある。

なぜ着けているのか分からない。けれど北の地図を見ると、胸が強く引かれた。

彼女は指輪を外さず、旅支度の鞄を開いた。