揃わない湯呑み
遥佳の父は、家を小さくするたびに、娘へ物を回そうとする。
「湯呑み、どっちが欲しい。桐箱の夫婦茶碗か、欠けた白いやつ」
送られてきた写真には、金の線が入った揃いの湯呑みと、縁が一か所欠けた白い湯呑みが写っていた。白いほうは祖母が毎朝使っていたものだ。
父は「揃いを持っておけば、そのうち使うだろ」と言った。
そのうち。遥佳は二十九歳になるまで、その言葉のために空けた場所をいくつも持っていた。もう一脚の椅子、二人分の食器、誰かと行くつもりで保存した店。未来を歓迎する準備のはずが、今の暮らしを仮住まいにしていた。
「白いほうを送って」
父は笑った。「欠けてるぞ。一個しかないし」
「一個で使うから」
電話を切ったあと、遥佳は食器棚から二つの未使用のカップを出した。いつかのために買った青と灰色のペア。青を自分用にして、灰色は箱へ戻した。
数日後、白い湯呑みが届いた。新聞紙の間に、父が夫婦茶碗の写真をもう一度入れていた。気が変わったら連絡しろ、と裏に書いてある。
遥佳は欠けた部分を指でなぞった。使えば唇を切るかもしれない。金継ぎを頼めば、揃いの湯呑みより高くつく。
それでも修理店の申込書に「一点」と書いた。直った湯呑みを使う未来に、もう一個の席は用意しない。
誰かが来たら、青いカップを出せばいい。来なければ白い湯呑みだけで朝を迎える。揃わない棚を完成形と呼ぶ責任を、遥佳は自分で持つことにした。
金継ぎから戻った白い湯呑みには、欠けを隠さない太い金色の線が走っていた。修理代は父の勧めた夫婦茶碗より高かった。遥佳は最初の朝、白い湯呑みに茶を注ぎ、青いカップは棚に残した。金の部分へ唇が触れるたび、少しざらつく。完成形は滑らかではなかった。二つ揃えるより手間も金もかかった一個を、毎朝自分で洗う。その面倒を、待つための仮の食器ではなく、今の暮らしの器として使い始めた。来客の予定がない朝ほど、窓辺の一人席で白い湯呑みを選んだ。