撮影前のひび

川西凛はビル管理会社の設備点検員になったばかりだった。新築庁舎の制振ダンパー引渡し会議で、三百基の外観検査記録を確認するよう命じられた。

報告書には漏油ゼロ、亀裂ゼロ。施工会社の統括責任者、三枝は最終工事代金の決裁を求めた。

凛は二百十四番ダンパーから油が垂れているのを前日に見つけていた。ところが報告写真では乾いている。

「清掃後に再確認した」と三枝は言った。

写真の撮影日時は五月十八日午前十時十二分。現場検査日は五月二十日。検査より二日前に、合格写真が撮られている。

三枝はカメラの日付設定ミスだと説明した。

凛は写真の位置情報を開いた。撮影場所は庁舎ではなく、施工会社の資材倉庫。背景の壁番号もW-3と読める。二百十四番の銘板だけを別の正常品へ貼り、写真を撮ったのだ。

庁舎側の担当者は、現物を再検査すれば済むと言った。

凛は現場で採取した油の分析票を出した。二百十四番だけでなく、同じ製造ロット三十基からシール材の劣化成分が出ている。漏れを清掃しても欠陥は残る。

三枝は凛の会社を次年度の保守契約から外すと告げた。上司は黙って目を伏せた。

凛は報告書の検査責任者印を指した。押印日は五月十九日。現場検査の前日である。しかも印影の外周には、資材倉庫の受入印と同じ欠けがあった。

「写真より先に検査が終わり、検査より先に合格しています」

凛は二百十四番の製造番号を照合した。資材倉庫で撮られた正常品は別棟向けで、すでにそちらの報告書にも同じ写真が使われている。一枚の写真で二基を合格にしていた。三枝は事務上の流用だと言ったが、二つの建物に同じダンパーは据えられない。

凛は現場の二百十四番をその場で映した。銘板の鋲には付け替えた新しい傷があり、油は拭った直後から再びにじんでいた。

庁舎の会計責任者が支払決裁書を裏返した。三百基分の残金は、二百十四番のひびから一滴も先へ流れなかった。