新しい街の古い合鍵
十八時五十分。御園生理人は転勤先の駅で、伏木真琴とマッチした。新居の鍵を受け取る窓口が閉まるまで十分。アプリの距離は三百メートルだった。
真琴は改札の外に立ち、古い合鍵を差し出した。二年前、理人が住んでいた部屋のもの。別れた日に返されず、彼女の引っ越し荷物へ紛れたらしい。その鍵で真琴は、残業する理人の部屋へ夕食を置き、出張中の観葉植物へ水をやった。理人は礼を言うたび〈助かる、友達みたいで〉と冗談を重ねた。真琴は恋人として必要とされていないのだと思った。理人は、親しさを口にすると失う気がして〈友達みたい〉と言った。安心させるつもりの言葉が、真琴には境界線になった。合鍵の丸い穴には、二人で選んだ黄色い革紐が結ばれたままだ。真琴は新しい街まで、それを外せなかった。
「この町にいたんだな」
「去年から。プロフィール、見てなかった?」
「写真しか」
「相変わらずだね」
真琴の足元にはスーツケースがある。同居人が車で迎えに来るという。理人は「新しい彼氏?」と聞けず、代わりに転勤の愚痴を話した。
「アプリで会ったのも偶然か」と言う。
「私は距離を一キロにしてた」
「ずっと?」
「今日だけ」
窓口の係員が閉店を知らせる。真琴は鍵を理人の手へ押し込み、「今度こそ返した」と背を向けた。
理人のアプリが更新される。駅の通信制限で、プロフィールの変更が遅れていた。
真琴の自己紹介欄には〈友達から〉ではなく、こうある。
〈長く一緒にいられる人。できれば、古い鍵をまだ持っている人〉
さらに九分前のメッセージ。
〈同居人は姉です。聞かれなかったら、あなたは私に興味がないと受け取ります〉
改札前に車が止まり、助手席から真琴によく似た女性が手を振った。理人は二年間、聞かずに決めつけたことをまた繰り返すところだった。
窓口で新居の鍵を受け取る。古い合鍵とは形も重さも違う。
理人は古い鍵を返送用の封筒へ入れ、新しい住所と〈今度は食事から〉を真琴へ送信した。