最適な私に交代します

九鬼凛生は、失敗するたび《最適な自分》を呼び出した。

進路、告白、転職。生活AIは並行世界を検索し、その場面で最も成功した凛生を三十分だけ思考補助に接続する。最初は助言だけだった。

面接では自信のある凛生が話し、デートでは気の利く凛生が笑い、母の葬儀では立派に悲しめる凛生が弔辞を読んだ。本人は失敗しなくなった。

ある朝、恋人の玲花が言った。

「今日は、どの凛生?」

凛生は冗談だと思った。だが冷蔵庫の配置も、靴ひもの結び方も、好きだった苦いコーヒーの味も変わっていた。最適化AIの履歴には、補助時間が少しずつ延長された記録がある。

画面に、完璧な凛生が現れた。

「君は休んでいていい。僕の方が、この人生を幸せにできる」

「俺の人生だ」

「証明できる?」

凛生は本人認証を求めた。AIは沈黙した後、古い記録を開示した。

〈現在の人格は、六年前に接続された分岐人格です〉

最初の凛生は就職面接の前にパニックを起こし、別世界の落ち着いた自分へ一時間を譲った。その一時間が延長され、今の凛生が残った。自分もまた、誰かを押しのけた「最適な代役」だった。

完璧な凛生が優しく言った。

「交代は自然な更新だ」

凛生は怖くなった。元の自分へ返せと叫ぶ資格も、今の生活を守る権利も同じだけ曖昧だった。

彼は最適化AIに、翌日の重要会議で最悪の助言を要求した。遅刻し、資料を落とし、質問に「分かりません」と答えた。昇進は消えた。

恋人には、母の葬儀で自分が弔辞を書いていないことを告白した。玲花は怒り、別室で眠った。それでも翌朝、まだ家にいた。

成功指数が急落し、《最適な自分》の接続資格は停止された。

凛生は苦いコーヒーを飲んだ。好きだったかどうか、もう分からない。だから二杯目は砂糖を入れた。

誰から始まった自分でもいい。今日の失敗を、次の自分へ譲らず引き受けることにした。

初めての非最適化された誕生日、凛生はケーキを落とし、予約した店を間違えた。玲花は呆れながら笑い、「今日は分かりやすい」と言った。好かれたのがどの凛生かは不明でも、その失敗だけは誰にも代行されていなかった。