机上の非常口
戸倉叶人は、試験前になると机に扉を描く。
四角を一つ、取っ手を一つ。小さな非常口だ。
日下部夕映がそれに気づいたのは、放課後の教室で二人きりになった日だった。叶人は赤点の追試勉強、夕映は図書委員の当番帰り。夕日が机を赤くし、描かれた扉だけが本当に開きそうに見えた。教室の時計は進んでいるのに、二人の問題集だけ時間から取り残されていた。
「どこへ出るの?」
「試験のない国」
「入国条件は?」
「名前を書ければ入れる」
「幼稚園じゃん」
夕映は扉の横に窓を描いた。
「そこから見えるのは?」
「一年中、夕方」
「暗くならない?」
「ならない。下校時刻もない」
「宿題は?」
「提出すると鳥になる」
「答案は?」
「紙飛行機」
夕映は椅子を逆向きにして座った。帰るつもりだったのに、扉の先を確かめたくなった。二人は机の上に架空の国を広げた。校則は三つ。眠い時は寝る。分からない時は分からないと言う。百点を取っても偉そうにしない。
「最後のは戸倉向け?」
「俺、百点取ったことない」
「じゃあ私向けか」
夕映はいつも成績上位だった。皆に「余裕でしょ」と言われるたび、余裕の顔を作る。実は今回の試験が怖くて、図書室でも同じページを三回読んでいた。
「日下部も逃げたいの?」
「少し」
「優等生でも?」
「優等生だから」
叶人は扉を大きく描き直し、二人が通れる幅にした。
「じゃあ行く?」
「どうやって」
「この机をひっくり返すと入口」
「先生に怒られる」
「試験のない国にも先生はいるのか」
「怒る人はどこにでもいる」
二人は笑った。
夕映は扉の上に「非常口」ではなく「戻り口」と書いた。
「逃げたあと、戻らないと追試できない」
「現実的すぎる」
「一緒に勉強したら、戻る時間が短くなる」
叶人は問題集を夕映の側へ押した。夕映も椅子を寄せる。机上の国を消さないよう、二人は端の狭い場所で式を解いた。
下校時刻までに三ページ進んだ。非常口は一度も開かなかったが、帰るころには、扉の向こうへ逃げたい気持ちは半分になっていた。