東口へ持つエクレア
桜庭夕映が洋菓子店「エトワール」に駆け込んだのは、東行きの最終列車まで二十二分のときだった。
ショーケースには、珈琲クリームのエクレアが一本残っている。細長い表面に薄い糖衣が掛かり、端だけチョコレートが欠けていた。
夕映は明朝、隣県の研究所で採用面接を受ける。内定すれば実家からさらに遠くなる。母からは、祖父の介護も始まるのだから地元へ戻れないかと連絡が来ていた。家族を放って、自分の専門を選ぶのか。その問いに答えられず、駅前を何周もした。発車案内は一度更新され、東行きの表示だけが最終の赤い枠に変わっていた。迷っている間にも、選べる時刻は減っていく。
「持ち歩きはどれくらいですか」
店主が尋ねた。
「東口の電車に乗れば、四十分。西口なら実家まで十五分です」
店主は理由を聞かなかった。箱の底へ保冷剤を入れ、「四十分」と書く。細長い箱の片側には、持つ方向を示す矢印を赤く引いた。その矢印は、偶然、店の扉から東口を向いていた。
「こちら側を上げないでください」
店主は箱を夕映の両手へ水平に載せた。
家族のことは、一本の列車で解決しない。面接へ行ったからといって内定するとも限らない。けれど今夜西へ戻れば、明朝の面接には間に合わない。将来を決める前に、選択肢を一つ自分で閉じることになる。
会計のレシートには十九時三十八分と印字されていた。夕映はその時刻を見て、母へ電話ではなくメッセージを送った。
〈今夜は面接へ行く。介護の分担は、帰ってから具体的に相談したい。戻るかどうかを先に決めることはできない〉
既読が付く前に、夕映は店を出た。アーケードの出口で東口と西口の案内板が分かれている。
箱の赤い矢印を見なくても、足は東へ向いた。
ホームへ着くと、発車ベルが鳴り始めた。夕映は走らず、箱を水平に保ったまま乗り込む。扉が閉まり、商店街の灯りが後ろへ流れた。
四十分後、エクレアの糖衣は少し溶けているだろう。それでも、持ち帰る方向はもう間違えなかった。