椅子を一つ動かす日
千鳥森宏樹と御子神夕は、部屋の模様替えをするために集まった。
宏樹は家族の遺したアパート収入で暮らし、夕は長い無職期間を満喫している。
午前十時、二人は床へ座り、家具の配置図を描いた。
「机を窓際」
「眩しい」
「棚を壁際」
「今も壁際」
「では椅子を移す」
「どこへ?」
二人は唯一の木の椅子を部屋の中央へ動かした。
座ってみる。
「邪魔」
「存在感はある」
「模様替え感もある」
それ以上の家具を動かす前に、休憩になった。
夕が持ってきた菓子を開け、宏樹が珈琲を淹れた。
黒糖のかりんとうは硬く、噛むたび小さな音がする。
「模様替えって、まず物を減らすらしいよ」
「何を捨てる?」
「その雑誌」
「まだ読む」
「五年前の」
「熟成中」
話は捨てられない物の由来へ移り、昼まで続いた。
午後、椅子を今度は窓際へ置いた。
夕が座ると、外の街路樹がよく見えた。
「ここ、いいじゃん」
「机が置けない」
「机は今のままで」
「では椅子だけ移動?」
「本日の成果」
二人は満足しかけたが、夕方の日差しが顔へ直撃した。
椅子を一メートル戻す。
「最初の場所の近く」
「厳密には二十センチ違う」
「大改装」
夕飯はレトルトカレーにした。
模様替えで疲れる予定だったので、宏樹が用意していた。
ごはんへカレーをかけ、窓際寄りの椅子と床へ分かれて座る。
スパイスの香りが部屋へ広がり、開けた窓から夕風が入った。
「何しに来たんだろう」
夕が言う。
「椅子を二十センチ動かした」
「時給換算すると?」
「働いてないから算出不能」
「なら高付加価値」
食後、二人は椅子の最終位置をテープで印した。
翌朝、気が変われば戻せるように。
夕が帰ったあと、宏樹は新しい位置へ座った。
以前とほとんど同じ景色だが、木の葉が少しだけ多く見える。
部屋には黒糖とカレーの香りが残り、床には椅子の脚がつけた薄い跡がある。
何も変わらない休日ではなかった。
二十センチぶんだけ景色が動き、二人分のどうでもよい話が、その隙間へちょうどよく収まった。