正しかった最終列車

最終列車が車庫へ入るまで、あと六分だった。

 駅の指令室で、果歩は運転士の玄司に点呼票を渡した。彼が運転席に座るのは今夜が最後。明日から内勤へ移る。

「睡眠障害の報告、果歩が出した?」

 閉じた扉の向こうで、ホームの発車ベルが鳴る。

「私です」

「そうか」

 三週間前、玄司は停車中に一瞬だけ意識を落とした。本人は疲れだと言ったが、果歩は上司へ報告した。検査で治療の必要が分かり、運転業務から外された。

 好きだと言えない理由は一つ。好意を口にすれば、告発した自分を許してほしいだけに聞こえる。正しさと寂しさを、交換条件にしたくなかった。

 報告後、玄司は果歩の無線に必要最低限しか答えなくなった。以前は終着駅の夜景を写真で送り、遅番の日には温かい缶茶を指令室へ置いた。どちらも途絶えた。それでも果歩は撤回しなかった。もし次に眠った場所が停車中でなければ、と考えるだけで手が冷えた。彼の夢を奪ったのではなく、命を守ったのだと何度も言い聞かせたが、その言葉で自分の寂しさまで正当化したくはなかった。点呼票の端には、玄司が毎晩書いていた小さな丸印がある。今夜の丸だけ、少し歪んでいた。

「正しかったと思ってる?」

「思っています」

「迷わなかった?」

「迷いました」

「それでも?」

「正しかったから」

 二度目の言葉に、玄司は目を伏せた。

 無線が最終列車の進入を告げる。あと三分。玄司は点呼票へ署名した。

「俺、果歩なら黙ってくれると思ってた」

「だから黙れなかった」

「どういう意味」

「大事じゃなければ、嫌われる覚悟までしない」

 玄司が顔を上げる。果歩はそれ以上言えなかった。

 列車が停止し、乗務終了のチャイムが鳴る。指令室の扉が開き、夜気が入った。

「正しかった」

 三度目だけ、果歩は続けた。

「でも、正しかったことであなたを失っても平気、とは思ってない」

 車庫行きの職員バスが到着する。いつも果歩は前方、玄司は最後尾に座っていた。

 その夜、果歩は空いている席をいくつも通り過ぎ、玄司の隣へ腰を下ろした。