残り四十七秒

 残り四十七秒。

 灯子は電子レンジの数字を見つめていた。

 午前二時四十六分。温めているのはグラタン。送れないままのメッセージは、スマートフォンの画面に残っている。

「今から電話してもいい?」

 宛先は姉だった。

 用事はない。ただ眠れなくて、声を聞きたかった。けれど姉には小さな子どもがいる。こんな時間の着信は、何かあったのかと思わせる。

 残り三十八秒。

 電子レンジの中で容器が回る。

 店内の空調が回る。

 冷蔵ケースのファンが回る。

 灯子の考えだけが同じ場所を回り続ける。

 隣のコーヒーマシンへ、別の客が紙カップを置いた。長い髪をまとめた女性だった。ボタンを押すと、機械が豆をひく。

 がり、がり、がり。

 残り二十九秒。

 女性はスマートフォンを見ていない。両手をコートのポケットへ入れ、ただ抽出が終わるのを待っている。

 残り二十秒。

 コーヒーが細く落ち始める。

 灯子のグラタンは白い扉の向こうを一周する。

 女性の紙カップから湯気が上がる。

 二つの機械が、それぞれの時間を進めている。

 残り十二秒。

 女性が一度だけこちらを見た。灯子も目を上げた。視線は一秒も続かなかった。互いに、夜中に食べ物ができるのを待つ人だと確かめただけだった。

 コーヒーマシンが先に鳴る。

 女性は蓋を取りつけ、店を出た。

 残り五秒。

 四。

 三。

 二。

 一。

 電子レンジが三度鳴った。

 店員がグラタンを袋へ入れる。灯子はスマートフォンを開き、メッセージを見た。削除しようとして、やめた。送信もしないまま、下書きに残す。

 姉へ電話できない夜があっても、姉がいなくなるわけではない。

 店を出ると、先ほどの女性が横断歩道の向こうを歩いていた。紙カップの白い蓋だけが街灯に浮かび、やがて角を曲がった。

 灯子は袋を持ち直した。底が熱い。

 部屋へ戻ったらグラタンを食べる。それから眠れなければ、眠れないままで朝を待つ。

 今夜の残り時間を、全部誰かの声で埋めなくてもいい。

 灯子はスマートフォンをポケットへ入れ、信号が青になるのを一人で待った。