毛布の温度

篠目那由が雪で閉ざされた山小屋へ逃げ込むと、先客がいた。

古い登山服を着た男で、名を峡と名乗った。

薪は湿り、ストーブには火がつかない。

小屋にある毛布は一枚だけだった。

「使って」

峡が差し出す。

「あなたは?」

「俺は寒くない」

けれど那由が毛布を肩へかけると、峡の頬に血の気が戻った。

那由の指先は逆に冷たくなる。

毛布の温度は、二人のあいだを行き来した。

那由が多く包まれば峡が温まり、峡へ渡せば那由が温まる。

「変なの」

「半分ずつなら?」

二人で並んでくるまると、どちらも少しだけ暖かかった。

那由は一人で冬山に入った。

登頂が目的ではない。

去年、婚約者がこの山で亡くなり、遺品のピッケルが見つかった場所まで行くつもりだった。

家族には止められた。

それでも「一人で行かないと意味がない」と出てきた。

途中で吹雪になり、道を失った。

「意味って?」

峡が尋ねた。

「私だけ下山したから」

「一緒にいたの」

「あの日は、途中で体調を崩して先に戻った。あの人は頂上へ行った」

「止めなかった?」

「止めた。でも、もっと強く止められた」

那由が毛布を自分へ引くと、峡が暖かくなり、姿まではっきりした。

胸元の名札が見える。

十五年前、この小屋の近くで亡くなった登山者の名だった。

那由は毛布を峡へ押した。

自分の体に熱が戻る。

峡の姿は薄くなる。

「あなた、幽霊?」

「今さら?」

那由は笑った。笑うと少し息が楽になった。

「一人で来る人、多いの」

「たまに」

「止めないの」

「止めて聞くなら、最初から来ない」

風が壁を叩く。

二人は交代で毛布を引き寄せた。

片方だけ暖まろうとすると、もう片方がはっきり見える。

半分ずつなら、互いの輪郭も体温も保てた。

夜明け前、吹雪が弱まった。

峡が出口を指す。

「尾根へ戻るな。沢沿いに下りろ」

那由は立ち上がった。

「一緒に」

「毛布から出たら、俺は無理」

那由は迷い、毛布を峡の肩へ全部かけた。

熱が那由の体へ戻り、指先まで動くようになった。峡は毛布の下で、ほとんど透明になった。

「生きてる人が持っていけ」

「これを持ったら、またあなたが暖まる」

「仕組み、ばれたか」

「強がりも」

峡は笑った。

那由は毛布を小屋へ残し、外へ出た。

何度も振り返ったが、扉は閉じたままだった。

下山後、那由は救助隊に小屋の場所を伝えた。隊員が回収した毛布を、春になって峡の遺族へ届けた。

古びた一枚を、彼の母は抱きしめた。

那由は婚約者のピッケルを探しに戻らなかった。

一人で背負うことだけが愛ではないと、半分の温度で知ったからだった。