水槽に朝が来るまで
閉館後の水族館で、サメ水槽の循環ポンプが水を送らなくなった。予備系統は動いているが、朝まで一台だけでは酸素量が下がる。蛯原蒼が機械室へ入ると、飼育員はモーター交換の手配をしていた。
「音はするのに流量がゼロです。羽根が壊れたのかも」
蒼はモーターを止め、軸を手で回した。引っ掛かりはなく、内部のインペラも固着していない。故障直前の記録には、ろ過槽の逆洗をしたとある。
ポンプ上部の小さな栓を緩めると、空気だけが長く抜けた。逆洗で水位が下がった際、吸込管へ空気が入り、ポンプが呼び水を失っていた。水をつかめないまま回り続けたため、本体は熱を持ち、軸のメカニカルシールから一滴ずつ漏れている。
飼育員は水を入れて再起動しようとした。蒼は先に停止札を掛けた。熱い状態で急に冷水を入れれば、部品が歪む。さらに傷んだメカニカルシールを残せば、運転再開後に海水がモーター側へ回る。
予備系統を上げすぎると、水流を嫌う魚が水槽の隅へ追い込まれる。蒼は流量を一気に最大へせず、飼育員にサメの泳ぎも見てもらいながら段階的に増やした。機械にとって安全な数値が、生き物にも安全とは限らない。この現場では、修理完了の判定を計器だけに任せられなかった。
本体が冷える間、蒼はサメ水槽の酸素値を十分ごとに報告してもらった。予備系統の流量を安全範囲で上げ、時間を作る。冷却後にシールを交換し、吸込管の継ぎ目も調べると、逆洗用の弁が最後まで閉じず、そこから空気を吸っていた。弁座に小石が挟まっていた。
小石を除き、管内を水で満たして呼び水を戻す。起動後、蒼は流量だけでなく漏れと振動を確認した。透明な点検窓を気泡が通らなくなり、二台の流量が均等になった。
午前五時、暗い水槽でサメがいつもの円を描いた。飼育員はガラス越しに親指を立てた。
蒼が濡れた床を拭き終える前に、ペンギン舎から内線が鳴った。給餌用の昇降台が途中で止まったという。水槽の照明が朝色へ変わるなか、彼は工具箱の水滴を払い、次の生き物の場所へ向かった。