泥道に敷かれた板
大雨のあとの駐屯地は、膝まで沈む泥だった。
補修技師フィアが進もうとすると、従者が両腕を伸ばした。
「団長閣下がお運びになります」
フィアは身を引く。以前、足場の悪い現場で勝手に抱き上げられ、怖くて声も出せなかった。
騎士団長クラウスは何も言わず、荷台から長板を下ろした。泥へ一枚ずつ渡し、自分で歩ける道を作る。
「抱えられるのは嫌だと言った」
半年前、階段で一度話したことを覚えていた。
「すみません。手間をかけて」
「歩きたいのだろう」
彼は手を差し出さず、転びそうな距離だけを保って横を進む。普段のクラウスは遅れた兵を待たず、弱音にも返事をしない。だがフィアの歩幅にだけは必ず合わせる。
工事会議では、崩れた橋を急造する案が出た。
貴族の監督官は、下請け職人へ無理な夜通し作業を命じる。
フィアは図面を閉じた。
「この工程には署名できません。土台が乾いていません」
「王子の行列まで三日しかない」
「落ちます」
監督官はクラウスへ向いた。
「団長命令で署名させてください。この娘は閣下にだけは従うでしょう」
クラウスは図面を取る。
「中止」
「行列が遅れますぞ」
「迂回させろ」
「王子を泥道へ通せと?」
フィアは別案を示す。
「仮橋ではなく、板道なら一日でできます。徒歩だけですが」
監督官が笑う。
「王子を歩かせるのか」
クラウスは泥の外に敷かれた板を見た。
「歩ける」
「団長の威信まで傷つきます」
「傷つかない」
彼はフィアへ尋ねた。
「板道を指揮するか」
「はい。ただし夜通しはしません」
「それでいい」
会議を出ると、雨がまた強くなっていた。クラウスは抱き上げる代わりに、残った板をもう一枚泥へ置く。フィアが一歩進むたび、次の足場だけを先に作った。
決裁書へ工事延期の印が押される。
「橋は造らない。フィアが危険と言った工程を強行するな。王子も私も、自分の足で歩く」