泥道に置かれた皇帝の板

洪水後の村道は、膝まで沈む泥になっていた。

測量士ベルカが進もうとすると、衛兵が抱き上げようと腕を伸ばした。

「触らないでください」

衛兵が不満げに眉を寄せる。

その背後で、皇帝ガーレンが荷車から長板を下ろした。

「持ち上げるな。道を作れ」

諸侯を震え上がらせる皇帝自ら、泥の上へ板を並べていく。ベルカが急に抱えられるのを嫌うと、半年前の視察で一度話したからだ。

「陛下がなさる仕事では」

「余が一番暇だ。皆、口だけ動かしている」

衛兵たちは慌てて板を運び始めた。

村役場では、新しい堤防計画が示された。上流の皇室荘園を守るため、下流の民家二百戸を遊水地にする案だった。

ベルカは地図を閉じる。

「署名しません」

大臣が苛立つ。

「皇帝陛下の計画だぞ」

「余は調査を命じた。家を沈めろとは命じていない」とガーレンが言う。

「しかし工期が迫っています。測量士の名だけ借りれば――」

「私の名を使わないでください」

ベルカの声は震えたが、引かなかった。

大臣は皇帝へ訴える。

「陛下から命じれば従います。特別に目をかけている者でしょう」

ガーレンは未署名の図面を持ち上げた。

「特別だから、命じない」

「では代案は?」

ベルカは窓の外の流れを見る。

「四日ください。旧水路を広げれば、両岸を残せるかもしれません」

「五日使え。夜は休め」

大臣が予算超過を叫ぶと、皇帝は皇室庭園の改修費を全額回すと決めた。

ベルカは帰り道の板へ自分で足を載せる。ガーレンは手を差し出さず、隣の板を補強した。

後方で、工事停止命令が読み上げられる。

途中で板が傾き、ベルカの身体が揺れた。ガーレンは反射的に腕を伸ばしたが、触れる直前で止める。

「手は要るか」

「板を押さえてください」

皇帝は彼女ではなく板へ手を置いた。ベルカは自分で均衡を取り戻す。助ける方法まで本人に選ばせる皇帝を見て、衛兵たちも次から先に尋ねるようになった。

「ベルカが『これなら署名できる』と言うまで杭を打つな。皇帝の名より、現場を歩いた者の拒否を優先する」