湯葉の折り目

岩永圭吾は、恋人のスマートフォンを勝手に見た。

 帰宅が遅い日が増え、画面に知らない名前が出たからだった。眠っている彼女の指を使ってロックを外し、メッセージを読んだ。浮気の証拠はなかった。知らない名前は、異動先の女性上司だった。

 翌朝、圭吾が問い詰める前に、閲覧履歴で気づかれた。

「何もなかったから、安心した?」

 圭吾は「誤解だった」と答えかけた。彼女が怒っているのは疑いが外れたことではなく、眠っている身体まで鍵に使われたことなのに、最後まで事件の有無へ話を戻そうとした。

 彼女はそう聞き、合鍵を置いた。圭吾が謝ると、「謝っている今も、私が疑わせたせいだと思ってる」と言った。

 圭吾は「薄明」のカウンターへ一人で座った。日本酒を一杯頼むと、店主は湯葉の生姜あんを出した。薄い湯葉が餡の中で幾重にも折れ、箸を入れると白い湯気が立つ。出汁と生姜の匂いが柔らかく混ざり、持ち上げた端は自重でゆっくり伸びた。

 圭吾の下書きには、疑った理由が並んでいた。以前の恋人に裏切られたこと、最近会話が減ったこと、仕事で眠れなかったこと。全部本当で、全部彼女の画面を開く許可にはならなかった。

 共有位置情報も、最初は待ち合わせに便利だから始めたものだった。いつからか圭吾は、返信が遅いと地図を開き、安心するために彼女の現在地を確認した。便利さの形をした監視を、二人の習慣だと思い込んでいた。

 湯葉を高く持ち上げたところで切れた。

「上げすぎると破れる」

 店主は短く言った。

 圭吾は下書きを消し、二人で使っていた共有位置情報から自分を外した。彼女の写真を同期していた共有アルバムも、管理権限を返す。明日は合鍵を追跡付きの封筒で送り、同封する紙には謝罪と発送内容だけを書く。返事は求めない。午後には、以前予約して取り消したカウンセリングへ申し込む。

 信じられなかった理由を知っても、壊した信頼が戻るとは限らない。彼女の生活を確認できないことが、今は怖い。

 湯葉を低くすくうと、今度は切れずに口へ運べた。生姜の熱が喉へ落ち、薄い層の間に含まれた出汁が静かにほどけた。