火の起こし方を知らない
膳所葦人が雪山の余暇施設を選んだのは、寒さが完全に再現されると広告にあったからだ。吹雪を眺めながら暖炉映像の前で眠る。それが安全な冒険だった。
夜半、施設の管理系が止まった。壁の保温が切れ、室温は急速に下がった。救助は十二時間後。倉庫には薪と古い着火具があったが、宿泊者四十人の誰も使い方を知らなかった。
「暖炉に入れれば燃えるんじゃないのか」
宿泊者たちは端末へ何度も問い合わせた。回答は同じだった。《体温保持姿勢で待機してください》。全員が正しく丸まり、正しく震えた。誰かが倉庫の非常食を開けようとしたが、包装を切る刃物さえ安全規制で撤去されていた。葦人は、知識だけでなく、試す道具まで社会から消えていることに気づいた。
薪は冷たいままだった。
葦人は祖父が見ていた禁止配信を思い出した。手で火を起こし、食べ物を作る昔の番組だ。子どもの頃に真似して火災警報を鳴らし、二度と見るなと言われた。
細い木を集め、紙を丸め、火花を落とした。一度目は煙だけ。二度目は指を焼いた。周囲から、救助を待つべきだという声が上がった。
「失敗して酸素を減らすだけだ」
葦人自身もそう思った。だが隅で震える幼児の唇が青くなっていた。
二度目の失敗で、葦人は祖父の番組をほとんど覚えていないと悟った。知っているつもりだっただけだ。彼は恥を捨てて、ほかの宿泊者へ見覚えのあることを尋ねた。ある女性は空気の通り道を、少年は乾いた布の場所を思い出した。断片を寄せると、ようやく一つの手順になった。
三度目、小さな炎が紙の端を舐めた。息を吹くと消えそうになり、強く吹くと灰が舞った。葦人は両手で囲い、誰かに細い薪を渡すよう頼んだ。次第に人々が動き、服を重ね、風よけを作った。
火のそばでは、知らない者同士が交代で眠った。誰かが眠れば、別の誰かが薪を足す。葦人は炎より、その約束が消えないかを見張っていた。
朝、救助隊が来たとき、暖炉には赤い炭が残っていた。
施設会社は事故後、危険知識の拡散を防ぐため、手動着火の映像を削除した。葦人には規約違反の警告が届いた。
彼は自宅で、震える手を撮影した。最初の動画は火がつかず、二本目も失敗した。三本目でようやく煙が上がった。
題名は《うまくいかない火の起こし方》にした。
完璧な手順より、失敗しても次に何をするかを残したかった。