火を食う馬印

カンドは馬印の黒毛へ獣脂を塗った。

王の騎馬隊を示す馬尾旗で、戦場では必ず王の右に立つ。黒毛には歴代の王の名を刻んだ銅筒が編み込まれ、走れば乾いた音を鳴らした。敗れた今も、敵将ムベロはこの旗を追っていた。王を討てば、散った諸族が降るからだ。

「燃やせば王は死んだと思われます」

槍女ニャリが言った。

「死んだと思わせるのではない。逃げ急いでいると思わせる」

退却する王軍は、赤土の谷を西へ進んでいる。谷口を抜けるまであと半刻。追手は戦象六頭を先頭に、乾いた草原を迫っていた。

カンドは馬印を若い牝馬の鞍へ立て、黒毛に塗った脂へ火をつける。炎は毛を舐めるが、芯の生皮まではすぐ燃えない。遠目には、王の旗を焼きながら逃げる敗軍に見える。

「馬が谷へ戻れば味方を焼く」

「戻らない。あの牝馬は子を東の放牧地に残している」

カンドは牝馬の鼻へ、子馬の鬣を結んだ布を嗅がせた。牝馬の頭を東へ向ける。火を恐れて走るのではなく、子の匂いへ走る。ムベロの軍は王旗を追い、東の枯草地へ入るはずだ。

ニャリは火打石を握ったまま動かなかった。

「王は、この旗を祖父の魂だと言った」

「魂なら足が速い。今夜くらい働かせろ」

火花が散り、黒毛に青い炎が走った。牝馬が嘶き、東へ駆ける。燃える馬印は夜の草原で高く揺れた。

燃える旗を見た敵兵が「王だ」と叫んだ。その一声が、千の目を東へ向けた。敵の戦象が向きを変えた。騎兵も続く。ムベロは王が旗を捨てず逃げていると読んだ。

だが乾季の草は、旗から落ちた脂火を拾った。細い火の線が牝馬の後ろへ伸びる。象は炎を見て止まり、後ろの騎兵がぶつかる。やがて一頭が反転し、敵列を踏み崩した。

「馬まで焼ける」とニャリ。

「東には浅い川がある。火はそこで消える。着けば消える。着かなければ、俺たちと同じだ」

カンドは西を見た。最後の荷車が谷口へ入る。王は振り返らず、負傷兵の肩を押していた。

東の火の中で、ムベロの角笛が乱れる。

谷上の砦から太鼓が三度鳴った。退却完了。

カンドが腕を振り下ろすと、西門楼に新しい白馬の旗が上がった。