無料日の店長
押切温人が店長を務めるスーパーで、すべての値札が零秒になった。中央決済AIの更新ミスで、全国の時間価格が一日だけ消えたのだ。復旧予定は二十四時間後。
開店五分で客が押し寄せた。高級肉を腕いっぱい抱える人、棚ごと台車へ載せる人、普段は一秒の飴さえ迷う老人。温人は「必要な分だけ」と叫んだが、無料という言葉の前では店長命令も小さかった。十分で棚が空になり、客同士が最後の米袋を奪い合った。
温人は入口を閉めた。倉庫には非常用の在庫が残っている。零秒で配れば、誰かが全部持っていく。価格が戻るまで守るのが正しいと思った。
夕方、裏口を小学生が叩いた。祖父が熱を出し、流動食を買えなかったという。手首には残高がない。いつもなら福祉申請を案内するところだが、その日は何を渡しても零秒だった。
温人は流動食を一本渡した。少年は頭を下げ、ポケットから折り紙の星を置いた。
「ただでもらうの、なんか嫌だから」
温人は笑った。無料の日に足りなかったのは値段ではなく、受け取ったと感じる方法だった。
彼は店を開け直し、入口に紙を貼った。
《一人一品。代金の代わりに、次の人が困らないことを一つしてください》
客は床を拭き、箱を運び、老人の荷物を持った。相変わらず二品取ろうとする者もいたが、並んだ人が止めた。夜までに倉庫はほぼ空になった。それでも最初の混乱より多くの家庭へ届いた。
翌朝、価格が戻った。中央AIは零秒で出庫した分を損失として温人の口座から差し引こうとした。ところが町の人々が、一秒、二秒と自主送金していた。合計は損失を少し上回った。
温人は余った四分を返金せず、店の入口に《無料分》として置いた。残高不足の人が一品だけ買える共同口座だ。
無料の日は、人間が欲深いことを証明した。温人には、それだけではなかった。値札がなくても、人は代金の代わりになる振る舞いを考えられる。その一日が、彼の店の商売を少し変えた。
共同口座の四分は、半年で三日になった。温人はそれを店の利益とは呼ばず、《まだ会ったことのない客の持ち分》と帳簿に記した。