煙突一本で落ちた砦

傭兵長バザンは、ユスカを追放した日の夕方、敵砦の裏山に野営した。

夜明けの奇襲まで火を隠せ。そう命じたはずなのに、新しい料理番が煮込みを始めると、白い煙が木々の上へ伸びた。

「火を小さくしろ!」

小さくすると薪がくすぶり、煙はさらに濃くなった。消せば夕食はない。兵たちが騒いでいる間に、砦の鐘が鳴った。

敵の投石が、煙の根元へ正確に落ちた。

これまでユスカは、野営前に薪を二つへ分けていた。湿った薪は鍋の余熱で乾かし、乾いた細枝で炎を一気に立てる。鍋底を二重にして、短時間で煮た後は熾火だけを残す。煙が出ないのは魔法ではなく、燃やす順番と鍋の作りだった。

バザンは彼女を「飯が遅い」と怒鳴り、その準備を無駄と呼んだ。初めて別の者に作らせた夕食が、軍旗より目立つ合図になった。

奇襲は失敗し、傭兵団は食事も取れぬまま撤退した。

敵は煙の太さから鍋の数を読み、兵数までほぼ正確に言い当てた。隠していた予備隊にも矢が降り、バザンの作戦図は泥に落ちた。剣を一度も交えないまま、夕餉の煙が陣形も人数も告げてしまったのだ。

そのころユスカは、敵に包囲された山村の地下厨房にいた。煙を出せば砲撃されるため、村人は三日間冷たい穀物を齧っていた。

彼女が二重鍋で豆を煮ても、地上の煙突からは何も上がらない。子どもが湯気へ顔を近づけ、村長は泣きながら一口すすった。

「火を使ったと知られずに、温かい飯が食える……これなら包囲が続いても持ちこたえられる」

ユスカは〈隠密炊事長〉として、燃料と配膳時刻の全権を任された。

夜、撤退中のバザンから矢文が届いた。

『煙を出さない鍋を持って戻れ。明夜こそ奇襲する。拒めば敵への内通とみなす』

ユスカは矢文を、乾燥用の熾火へ入れた。紙は煙も出さずに縮む。

伝令へ返した言葉も短かった。

「内通ではなく転職です。傭兵団との雇用契約は、私を山道へ置き去りにした時点で終了しています」