父の名刺を束ねない

河原崎玻留は、父の名刺を百枚ずつ輪ゴムで束ねていた。

遺品整理業者へ渡すための一箱だ。名刺の肩書はすべて〈代表取締役〉。父は娘を紹介するときも、名前より先に「うちの会社を継ぐ子です」と言った。

高校の進路相談で、父は自分の名刺を担任へ渡した。大学の就職課にも、玻留の知らないところで挨拶へ行った。父の名刺は扉を開く道具であると同時に、玻留が別の道へ行く扉を閉じる札だった。

箱の底には、幼い玻留が名刺の裏へ描いた家族の絵が一枚ある。父は捨てずにいたが、絵の上から取引先の電話番号を書いていた。

玻留はその一枚も特別扱いしなかった。自分の絵を救い出すために父の名刺を形見にする必要はない。幼いころ描いた家族は、紙がなくても、描いた事実まで消えなかった。

母が食卓から声をかけた。

「大事な人の分だけ残したら? いつか会社で必要になるかもしれない」

玻留は会社を継がないと、父の生前に伝えている。母は否定しなかったが、父が亡くなってから「今すぐ決めなくても」と名刺箱を玻留の部屋へ置いた。

一枚の裏に、玻留の大学の合格日が書かれていた。父にとっては商談の予定と同じ欄にある記録だった。

「一枚も残さない」

「お父さんの仕事を消すみたい」

「会社の記録は会社にある。これは私が継ぐための切符じゃない」

母は、父が玻留を誇りにしていたと言った。

「誇ることと、決めることは違うよ」

玻留は輪ゴムを外した。束ねたままでは個人情報が読めるため、業者の鍵つき回収箱へそのまま入れることになっている。父の人脈を整理する役も、娘だから当然に引き受けるつもりはない。

母へ、会社関係の問い合わせは今後顧問へ回してほしいと伝えた。玻留の連絡先を後継者候補として教えないことも頼んだ。

母は「分かった」と言い、食卓の父の席に置いていた名刺入れを自分の引き出しへしまった。

最後の一箱を閉じる。輪ゴムが机に一本残った。玻留はそれも捨てた。

父の名字は自分にもある。それでも、肩書まで束ねて持つ必要はなかった。