父の無言の大盛り

瑞葉が実家の食卓へ座ると、父はカレーを大盛りによそった。昔から、落ち込んでいるときだけ量が多い。理由を聞く代わりに、白いごはんの山を高くする人だった。

婚約者と別れたことは伝えた。けれど理由は言っていない。彼が怒鳴りながら壁を殴った夜、瑞葉は翌朝に荷物をまとめた。自分には触れていない。謝罪もされた。それでも戻れなかった。

父が「それくらいで」と言うのが怖かった。堅実な仕事を持ち、礼儀正しく、父とも酒を飲んだ彼を、家族は気に入っていた。結婚直前に逃げた娘より、彼のほうを信じるかもしれない。その心配を口にできず、瑞葉はスプーンを取った。

器は重く、掌へじんわり熱が移った。クローブの香りがして、牛肉は噛むと繊維がほどけた。父は向かいに座らず、台所で鍋の蓋を洗っている。食べるのは瑞葉一人だった。

半分までは勢いで食べた。大盛りは、昔なら励ましだった。今日は「全部食べられるなら大丈夫」と試されているように見えた。喉が詰まり、スプーンが止まる。

父が背中を向けたまま言った。

「残しとけ。朝、うまいから」

それだけだった。理由も、どちらが悪いかも聞かなかった。

瑞葉は皿の端に、牛肉を一切れとごはんをひと口分だけ取り分けた。残りを食べる。完食したふりをしないために、最後の一口を明確に残した。

食後、父はその一口に小皿をかぶせた。捨てず、無理に勧めず、明日の分として扱った。瑞葉の説明できない怖さも、同じように置いておける気がした。

「壁を、殴ったの」

皿を見たまま、それだけ言った。

父の手が一瞬止まり、また小皿を整えた。

「朝、温める」

父は彼の悪口を言わず、瑞葉の決断を褒めもしなかった。ただ、残った一口と娘の言葉を、捨てずに朝まで置いた。

返事はカレーのことだけだった。けれど瑞葉には、帰ってきたことを責めないという意味まで聞こえた。大盛りの皿には、一口分の余白が残っていた。