眠れる戸を直す
冒険者アデルは、魔王城から帰還して半年たっても眠れなかった。
扉が鳴れば敵襲だと思い、風の音で剣を抜く。報酬として望んだのは、誰も来ない辺境の土地だった。
そこには温泉小屋があったが、入口の戸が壊れ、風が吹くたび壁へぶつかっていた。
ばたん。ばたん。
胸が跳ねる。
アデルは剣を地面へ置いた。
「今日は、この音を止める」
歪んだ蝶番を外し、石で叩いて平らにする。
魔王城では、三度鳴る鐘が仲間の死を知らせた。帰還後も食器の触れ合う音さえ警報に聞こえた。治療師は「安全だと思え」と言ったが、思うだけでは戸は止まらない。ならば手で原因を外し、音のしない形へ変えればいい。アデルは蝶番の錆を布でこすり、一つずつ穴の位置を合わせた。抜けた木穴には細い枝を削って詰め、新しい釘を打った。最後に、内側から掛けられる小さな木栓を付ける。
戸を閉める。
風が来た。
壁も戸も鳴らない。
聞こえるのは、源泉が湯船へ注ぐこぽこぽという音だけだった。静けさに最初は胸が騒いだが、次の衝撃は来ない。何も起きない時間が、少しずつ安全という形を持ち始めた。剣を握らない手で戸に触れると、木はただ温かかった。
アデルは何度も戸を押し、木栓を確かめてから、剣を小屋の隅へ立てた。温泉へ肩まで沈む。湯気に包まれると、固まっていた背中が少しずつほどけた。
炉ではじゃが芋と乳のスープが煮えている。木匙で混ぜると、とろりとした白い湯気が立ち、焦がし玉葱の甘い匂いがした。
冒険者ギルドの伝令梟が窓へ来た。
『緊急依頼。黒竜出現。英雄アデルの参加を求む』
梟は封筒を落としたが、返事を待つ前に首をかしげた。
アデルは食卓へ伏せ、眠っていた。
スープの椀は空。木栓の掛かった戸は、夜風を受けても静かなままだった。
梟は一度だけ小さく鳴き、未開封の依頼書の上へ座る。
剣を抱かず、警報にも跳び起きず、温かな腹で眠る。
それが魔王討伐より難しく、今夜ようやく果たされた、彼女自身のための最初の依頼だった。