着ぐるみの中の空気

商業施設の兎の着ぐるみを、青年は五年着ていた。

子どもへ手を振り、写真を撮り、転べば大げさに起き上がる。

中の人の名は、誰も知らない。

新しい冷却インナーには、頭部を外している間だけ本人を透明にする誤作動があった。

休憩室で姿が消え、青年は外へ出られず、壁際に立った。

同僚たちが着ぐるみを椅子へ座らせ、話している。

「兎、来月で終了だって」

「古いキャラだしね」

「中の人、どうするんだろ」

「誰だっけ」

青年の胸が痛んだ。

五年働いても、知られていない。

そこへ清掃員が来た。

「兎さん、いなくなるの?」

「キャラクターですよ」

「分かってる。でも、去年、泣いてた子にずっと付き添ってたでしょう」

別の店員も言った。

「うちの子、あの日からここ来られるようになった」

「中の人、名前知らないけど、優しいよね」

青年は嬉しくなり、同時に腹が立った。

優しい「中の人」として褒められても、自分自身は透明なままだ。

翌日の公演後、頭部を外し、客の前へ初めて顔を出した。

規則違反だった。

子どもたちは驚き、泣く子もいた。

青年はマイクで名乗った。

「この兎を五年間動かしていました。来月でお別れです」

担当者が止めに来たが、親たちが拍手した。

一人の子どもが尋ねた。

「兎じゃなくなるの?」

「兎は終わる。でも、私はいる」

「次は何になる?」

青年は答えを持っていなかった。

会社から注意を受けた。

それでも、終了後の子ども向けイベント企画へ応募した。

着ぐるみの中で覚えた、怖がる子への近づき方、写真が苦手な子の待ち方を企画書へ書いた。

採用され、今度は自分の顔で会場へ立った。

最初は誰も寄ってこなかった。

兎のように大きな耳も、丸い手もない。

青年は焦らず、少し離れて座った。

以前、兎に付き添われた子が近づき、

「中の人だ」

と呼んだ。

「名前もあるよ」

青年が名乗ると、子どもも自分の名を教えた。

着ぐるみは、姿を隠すからこそできる仕事だった。

けれど隠れたまま受け取った感謝を、いつか自分の名前で次の仕事へ運んでもよかった。