石板の白線
河岸城ンバラの作戦図は、黒い石板に白い石灰で描かれていた。
雨が降れば消える。今夜の雨は南から来ており、雨脚は強い。夜明け前には必ず城へ届くとコフィは読んでいた。だから地図師コフィ・アズマは、敵の交渉役が来る直前に線を引いた。城壁、川、正門、そして存在しない地下道。地下道だけ、石灰へ油を混ぜてある。水を弾き、雨の後にも残る。
敵の交渉役は、城代へ降伏文を渡しながら石板を盗み見た。視線は一瞬だったが、地下道の入口まで覚えた顔をした。
「夜明けに正門を開ければ、城兵は川向こうへ退いてよい」
「川向こうには、そちらの騎兵がいる」
「では、地下から逃げるか」
コフィは顔を上げなかった。反応すれば、線を本物にする。
交渉役は卓の水差しを取り、誤って倒したふりをした。水が石板へ流れ、白線が崩れる。城壁も川も消えた。油を混ぜた地下道だけが白く残った。
「これは何だ」
「消し忘れです」
「雨でも消えぬ消し忘れか」
見抜いたと思わせるための地図だった。
実際の退路は、地下ではなく川底の石堤。干潮の一刻だけ水面近くへ出る。敵が架空の地下道出口へ兵を集めれば、石堤が空く。
交渉役は地下道の線を指でなぞった。北の薬草畑から城外へ抜ける形になっている。
「今夜、ここを塞ぐ」
コフィは初めて相手を見た。
「好きにしろ」
目を合わせるのが一呼吸遅かった。交渉役はその遅れを恐怖と読んだ。自分の推理が当たったと確信する。
「夜明けを待たず、北畑へ三百を回す」
彼が去ると、城代は濡れた石板を見た。
「地下道などない」
「だから塞がせました」
「石堤はいつ出る」
コフィは窓の外の川を見た。月が雲から出て、水面の流れが細く変わる。干潮まであと半刻。
城兵は鉄具を捨て、足へ布を巻いた。川石で音を立てないためだ。老人は背負われ、火薬樽だけが城内に残される。
北畑へ向かう敵の松明が長い列になった。
石板の白線を手で消すと、コフィは川楼へ合図した。
干潮の石堤へ降りる水門が開いた。