空の天井を掃除する日
浮遊都市の天井清掃員ヤグナスは、いつも上を向いて歩いた。
都市を包む透明防護殻の内側には、雲の脂、飛竜の羽、魔導機関の煤が付着する。誰も気づかない汚れを、彼は長い足場から落としていた。
技能も頭上だけが対象だった。
【天井清掃:頭上を覆う面に付着した異物を除去し、清浄な状態へ戻す。】
ある日、空が黒くなった。
最初は厚い雨雲だと思われた。だが雨は降らず、昼なのに星が消え、浮遊都市の空気だけが薄くなっていく。
魔導機関は正常。防護殻にも亀裂はない。それでも市民は息を切らし、鳥が次々と落ちた。
技師たちは都市の高度を下げようとしたが、何か巨大な力が上から吸いつけて離さない。
ヤグナスは清掃用足場を殻の頂上まで上げた。
黒い空の一部が、ゆっくり脈打っている。
雲ではない。
大陸ほどの翼を持つ《虚空吸い》が、防護殻の外側へ腹を貼りつけ、都市の空気と魔力をすすっていた。あまりに大きいため、住民には生物ではなく夜空そのものに見えていたのだ。
警備隊長が通信筒で叫ぶ。
「攻撃すれば殻が割れる。降りてこい!」
ヤグナスは長柄ブラシを組み立てた。
「殻を壊しません。付着物を落とします」
内側からブラシを押し上げる。
技能が透明殻全体へ走り、《虚空吸い》と都市の接触面だけを異物として認識した。
一押しで、黒い腹がわずかに浮く。隙間から青空が針のように差した。二押しで吸着音が雷となって響き、都市へ空気が戻る。
怪物が翼をばたつかせ、さらに強くしがみついた。
ヤグナスは足場の安全綱を切り、全体重を柄へ乗せた。
「天井に、生き物を貼ったままにしないでください!」
最後の一押し。
巨大な影が防護殻から剥がれた。吸着を失った《虚空吸い》は空の彼方へ転がり、浮遊都市を引いていた力も消える。
透明な天井いっぱいに、青空と太陽が戻った。
市民が息を吸う音が都市中で重なった。警備隊長は地上へ戻ったヤグナスに、最高塔の鍵を差し出す。
足場の認証板では、古い職名が空のように透け、新しい文字が高く浮かんだ。
【職業「浮遊都市天井清掃員」が上位職「天蓋浄界師」へ書き換えられました】