窓辺限定セッション

午前三時、藤代燐が窓辺へ端末を置いたときだけ、その曲は再生できた。

室内中央では「信号が足りません」と出る。窓を五センチ開け、夜風をマイクへ入れると、向かいのビルの非常灯が四拍ずつ点滅し、ギターの代わりに電波ノイズが鳴った。

「開けて」

燐の姉は企業の内部告発サイトを作ったあと、火災で亡くなった。警察は配線のショートと判断したが、彼女のノートパソコンだけが見つからなかった。姉は生前、窓越しに向かいの通信塔を見ながら「閉じたものほど歌いたがる」と言っていた。

Aメロでは、風音の強弱に合わせて数字が並んだ。四四三、二二、八〇。燐はネットワーク技師ではないが、姉が使っていた接続番号だと分かった。向かいの非常灯は故障ではなく、光で暗号鍵を送っている。

「開けて」

二度目の声で、燐は火災の夜を思い出した。姉から同じ短文が届いたのに、窓を開けろという冗談だと思い、返信しなかった。もし助けを求めていたのなら、自分が見殺しにしたことになる。燐は身を乗り出し、向かいの暗い窓を探した。

サビで強い風が吹き、端末のマイクへ低い唸りが入った。その周波数を鍵にして、画面にファイアウォールの設定が開く。姉が求めたのは、物理的な窓ではなかった。閉鎖された告発サーバーの通信口を外部へ開くことだった。

燐が接続を許可すると、火災前に保存された企業文書が流れ出した。有害廃棄物、口止め料、姉の端末への侵入記録。火災当夜、会社の技術者が遠隔で充電池を過熱させた証拠まで残っている。

最後の一音で、向かいの非常灯がすべて消えた。光の送信装置は、姉が協力者へ預けたものだった。深夜だけなのは、昼の光では信号が読めず、社内回線の監視も午前三時に切り替わるからだ。

画面には、姉が最後に残した手順が表示された。

「開けて」

窓を開き、火事から救ってほしいという届かなかった悲鳴ではない。閉じ込められた証拠を世界へ放つため、通信の扉を開けという依頼だった。