糸こんにゃくを先に
片桐隼人が「匙屋」へ入ると、店主は小鉢ではなく深い皿を出した。
「肉じゃが。糸こんにゃく、下に入れてある」
隼人は昔から、味の濃い糸こんにゃくを先に食べ、じゃがいもを最後に残した。就職して町を離れてから六年。店主がその順番を覚えているとは思わなかった。
皿から醤油と玉葱の甘い匂いが立ち、透明な糸こんにゃくの間を湯気が抜ける。箸で持ち上げると、細い束がつるりとほどけ、熱い煮汁が舌へ落ちた。じゃがいもの角は形を保ちながら、縁だけ柔らかく崩れている。
隼人の家族チャットは、三日前から止まっていない。
祖父の遺した土地を売るか残すかで、父と叔母が争っている。父は「長男の家のものだ」と言い、叔母は介護をした分を求めている。二人とも隼人へ個別に連絡し、どちらが正しいと思うか尋ねた。
隼人は既読をつけず、仕事が忙しいふりをしている。意見を言えば、片方から裏切り者と呼ばれる。黙っていれば、若い自分には関係がないことにできる。
だが祖父の通院を手伝っていたのは叔母で、固定資産税を払っていたのは父だ。どちらか一方だけが正しい話ではないことも知っている。
問題の土地には、祖父が植えた柿の木がある。隼人も子どものころ、夏休みのたびに枝へ登った。だから無関係ではない。それでも思い出を根拠に残せとも、介護の年月を金に換えろとも言えなかった。
「先にそればかり食うと、じゃがいも冷めるぞ」
店主が言った。
隼人は糸こんにゃくを置き、じゃがいもを割った。中心から熱い湯気が出た。外から見えない温度が残っている。
家族チャットを開き、明日の夜にオンラインで話す時間を提案した。
〈どちらの味方かは決めない。登記、税金、介護にかかった費用を揃えて、第三者へ相談するなら同席する〉
父は逃げだと言うかもしれない。叔母は冷たいと言うかもしれない。話し合いがさらに荒れる可能性もある。それでも、見えないふりを続けるのはやめる。
最後のじゃがいもは少し冷めても、中だけ熱かった。玉葱の甘さを含んだ煮汁が舌に残り、糸こんにゃくの弾む感触があとから戻ってきた。