紫紐の刀

紫乃が抱いていた刀には、紫の下緒が結ばれていた。

紫は弔いの色。戦死した若殿の刀を城へ返す葬送なら、敵も通す。主を失った城ほど、早く降伏すると考えるからだ。

だが下緒の結び目は弔い結びではない。若殿は討たれる直前、自分の血で濡れた指を紫乃の手へ重ね、輪を一つ内側へ返した。最後の命令は言葉ではなく、結び方だった。輪が一つ内側へ潜る「蛇返し」。城内に裏切り者がいるときだけ使う、古い警告だった。

裏切り者は南門番頭の九鬼田。今夜、敵へ門を売る。紫乃が城へ着かなければ、若殿の死より先に城が終わる。

彼女は白い頭巾をかぶり、敵陣の中央を歩いた。刀は抜かず、胸の前へ水平に抱える。従者はいない。葬送には少なすぎる人数だが、死者が敗将なら不自然ではない。

第一の柵で、兵が鞘を奪おうとした。紫乃は膝をつき、額を泥へつけた。

「首は差し出します。刀だけは御城へ」

命より物を選ぶ者は、疑われにくい。兵は笑って通した。

本陣前で、敵将・赤沼宗厳が待っていた。若殿を討った本人だった。

「顔を上げろ。あれの女か」

「小姓です」

「女の小姓か」

「死ねば同じです」

宗厳は刀の柄へ手を伸ばした。紫乃は初めて身体を引いた。

「中身を見せろ」

鯉口を切れば家紋が見える。偽物でないと証明できる。だが宗厳は下緒にも気づくかもしれない。

紫乃は刀を一寸だけ抜いた。刃には乾いた血、鎺には若殿家の柏紋。宗厳の視線は刃へ吸われた。

「本物だ。持っていけ。主の血を見せれば、城兵も諦める」

城までの田には、刈られない稲が黒く倒れていた。敵は収穫を待たず踏み潰し、味方は拾う人手を失っている。紫乃は刀だけを濡らさぬよう、頭巾を外して鞘へ巻いた。

敵陣を抜け、城の南門へ着いたとき、九鬼田本人が迎えに出た。

「若殿の御刀、私が預かる」

紫乃は渡さなかった。城壁の兵たちがざわめく。九鬼田の背後では、内側の閂がすでに半分抜かれている。

「城代へ直接」

「門の作法を知らぬのか」

九鬼田が柄へ手をかけた瞬間、紫乃は紫の下緒を高く掲げた。蛇返しの輪が松明に浮かぶ。

城代が楼上からそれを見た。

九鬼田の顔が、若殿の死を聞いたときより白くなる。

「南門を閉じよ」

命令と同時に閂が押し戻され、城壁へ抗戦の柏旗が上がった。