緑のクレヨン
「これ、わたしが描いたんじゃない」
真鳥美々は、机の上の紙を見て言った。
折笠紗季警部補は声を柔らかくした。
「車の番号を見たって、前に教えてくれたね」
「うん。でも、わたしは緑で描いた。これは鉛筆」
近所の大学生が連れ去られた夜、美々は白いワゴン車を目撃した。証拠袋の紙には『あ・47―19』と書かれ、逮捕された男の車と一致する。子どもの目撃証言を補強する決定的な証拠だった。
観察室から酒向章介刑事課長が入ってきた。
「今日はここまでだ。子どもを疲れさせるな」
「確認が必要です」
「記憶は変わる。最初の記録を優先する」
美々の母が、スマートフォンを差し出した。
「渡す前に撮りました。娘が、消えたら嫌だと言ったので」
写真には、緑のクレヨンで描かれた白い車と『あ・74―91』の数字があった。幼い手らしく四と九が左右逆で、隅に小さなカエルも描かれている。現在の紙には逆字もカエルもない。大人が子どもの筆跡を真似た文字だった。
紗季は登録照会を開いた。『あ・74―91』は県警の捜査用ワゴン車。事件当夜、薬物捜査班が無届けで使用していた。車両日誌は空欄だった。
酒向は母子を別室へ案内させ、扉を閉めた。
「潜入捜査車両だ。番号が外へ出れば、協力者も捜査員も危険になる」
「だから絵を替えたんですか」
「子どもの誤認を訂正した。誘拐犯の車は四七一九だ」
「それを決める前に、元の絵を消しています」
「折笠、組織の秘密と幼児の落書き、どちらを信じる。逮捕した男には前科も動機もある」
紗季は机上の鉛筆画を見た。美々の証言が正しいとは限らない。逆字を読み違えた可能性もある。だが、誤りを検討することと、別の紙へ替えることは違う。
「信じるのではなく、残します」
紗季は母の写真データを時刻情報ごと保全し、現在の紙の筆圧と用具を撮影した。証拠袋の封印番号は、児童聴取の翌日に再発行されている。旧番号の廃棄記録はなかった。
酒向が端末を閉じようとした。
紗季は緑の絵と鉛筆画を同じ画面に並べ、車両照会結果と封印履歴を監察へ送った。