緑衣の入れ替わり
緑のドレスの裾に触れ、誰かの姿を思い浮かべると、その人と居場所を入れ替えられる。ただし相手には着る者の記憶が一つ渡り、着る者はそれを失う。
ターシャは処刑広場を見下ろす鐘楼で、親友エメの姿を探した。
鉄籠の中にいた。反乱の首謀者として捕らえられたが、本当は孤児院の子どもたちを逃がしただけだ。夜明けの鐘が鳴れば、籠ごと谷へ落とされる。
緑衣を使えば、一瞬で入れ替われる。
どの記憶が渡るかは選べない。エメと初めて会った日のことかもしれない。二人で小さな部屋を借り、雨漏りの下へ鍋を並べた夜かもしれない。互いに結婚しなくても老後は隣に住もうと笑った約束かもしれない。
エメは、ターシャが仕事を失ったとき家賃を半分ではなく全部払った。ターシャは、エメが恋人に捨てられた夜、朝まで悪口の語彙を考えた。二人の間には、命を懸けるような大げさな誓いはない。食器を洗う順番や、最後の果物を半分にする決まりの積み重ねだけがあった。だからターシャは、そのどれか一つを失えば済む呪いを、安いとは思えなかった。
「やめろ」
背後で見張りが剣を抜いた。
ターシャは裾を握った。
広場ではエメが顔を上げている。遠すぎて声は届かない。それでも、二人だけの合図のように右手を胸へ当てた。
ターシャは彼女の姿を思い浮かべた。
濡れた髪。眠るときだけ幼くなる眉。失敗した料理をうまいと言い張る笑顔。
緑の光が視界を裂いた。
次の瞬間、ターシャは鉄籠の中にいた。鐘楼にはエメが立っている。見張りの剣から逃れ、自由な側へ入れ替わった。
同時に、記憶が一つ抜けた。
消えたのは、雨漏りの夜だった。鍋を並べ終えたエメが、『あなたはもう家族だから、どこからでもここへ帰ってきて』と言った夜。その場面だけが、切り取られた頁のように失われた。
ターシャは、エメが親友であることも、助けた理由も覚えている。ただ、自分にも帰る家があったという確信だけがない。
鐘楼のエメには、その記憶が渡っていた。
「ターシャ、帰ってきて! 家族でしょう!」
鉄籠の留め金が外れ始める。
ターシャは『家族』という大きすぎる呼び名を、初めて贈られた言葉のように聞いた。そして思い出せない約束へ返事をするように、胸へ右手を当てた。