自分で押すシャッター

三枝夕環は、古城写真室の撮影椅子に座ったまま、真鍮のレリーズを見ていた。細い布巻きのコードの先に、小さな押しボタンがついている。

園芸設計の専門学校へ出す願書写真を撮りに来た。夕環は昨年、看護学校を中退している。実習へ向かう電車で息ができなくなり、そのまま休学し、戻れなかった。家族には今も「体調が整ったら復学する」と言っている。

土や植物に関わる仕事を考え始めたのは、休んでいた時期にベランダの鉢を手入れしたからだ。けれど新しい学校へ申し込めば、看護から逃げたことが確定する気がした。願書は書いた。写真だけが空欄だった。

店主はカメラを調整し、夕環の肩を正面へ向けた。シャッターへレリーズをつなぎ、普通なら自分が持つはずのボタンを、夕環の右手へ置く。

「私が押すんですか」

店主はうなずき、カメラの後ろから離れた。撮影の合図も数えない。古い時計の秒針と、レリーズの金具が触れる音だけがした。

夕環はボタンへ親指を置いた。押せば願書用の一枚ができる。ただの撮影なのに、進路を決める判子のように重く感じた。

一度目は、押せなかった。店主は急かさず、背景布の皺を一本伸ばした。二度目、夕環は息を吸いすぎて肩が上がった。店主はレコードの音量を少し下げ、椅子の背を一段倒した。

三度目、夕環はベランダで枯れた葉を切った朝を思い出した。切ったから植物を見捨てたのではない。残った茎が伸びる場所を変えただけだった。

親指を押し込む。コードの内側を力が走り、少し遅れてシャッターが切れた。

店主は試し焼きを一枚だけ出した。夕環の表情は晴れやかではない。けれど合図を待つ顔でもなかった。店主は願書の寸法に合わせて裁ち、余った縁を捨てず、写真の裏へ添えて封筒へ入れた。

会計票の用途欄には〈入学願書〉とだけ書き、前の学校名を尋ねなかった。

夕環は写真を貼り、鞄に入れていた願書封筒を閉じた。家族への説明は、投函してから考える。逃げたのか、選び直したのかも、今すぐ決めなくていい。

店を出る前、レリーズを店主へ返した。小さなボタンには、押した親指の温度がまだ残っていた。