自分の名前を読む朝
継枝は、転校当日の朝も放送室へ入った。
毎週水曜日の朝放送を担当していた。今日だけ代わると後輩は言ったが、継枝は断った。
マイクの前へ座り、原稿をそろえる。
天気、今日の予定、図書委員からのお知らせ。最後に、転校生の紹介が一行ある。
『二年三組、継枝さんが本日付で転校します』
自分で自分の名前を読むことになった。
赤いランプが点く。
「おはようございます。朝の放送を始めます」
いつもの声が校舎へ流れる。
窓の外では、遅刻しそうな生徒が走っている。教室では誰かが机へ伏せ、誰かがパンを食べながら聞いている。三年間、継枝は顔の見えない相手へ話してきた。
原稿は最後の一行へ近づいた。
読み飛ばそうと思えばできる。担任があとで伝えるだろう。自分の別れを自分で告げるのは、妙に芝居がかっている。
継枝は紙を裏返した。
後輩が驚いてこちらを見る。
原稿にはない言葉を話した。
「最後に、個人的なお知らせです」
校舎のどこかで、皆が顔を上げる気配がした。
「二年三組の継枝は、本日、転校します」
自分の名字が、スピーカーから戻ってくる。
少し震えていた。
「朝の放送では、名前を間違えたことが四回、曜日を間違えたことが二回、マイクを切り忘れたことが一回ありました。聞いていた皆さん、すみませんでした」
隣で後輩が指を折り、回数を確かめている。
「それから、聞いてくれてありがとうございました。以上で、朝の放送を終わります」
スイッチを切る。
静かになった放送室で、後輩が言った。
「曜日、三回です」
「最後に訂正しなくていい」
「記録には正確に」
「じゃあ、訂正放送して」
「先輩の名前、もう一回読みます?」
継枝は笑った。
教室へ戻る途中、廊下のスピーカーの下を通る。さっきまで自分の声が出ていた箱は、何も言わない。
階段ですれ違った一年生が、「継枝先輩」と呼んだ。
名前を知られていたことに驚く。
次の廊下でも、知らない生徒が手を振った。
教室へ着くまでに、何度も名字を呼ばれた。
転校先では、最初からまた名前を覚えてもらわなければならない。
それでも継枝は怖くなかった。
学校中へ一度、自分で自分を紹介し、自分で自分を見送った声を、もう持っていたからだ。