薄荷が消えるまで

 荻野笙子は、喫茶「薄明」の閉店五分前、薄荷糖の小缶を一つ買った。

 青い格子模様の缶で、掌に収まる。店の昔の定番品だったが、閉店を前に在庫はそれが最後だった。

 笙子の画面には、夜だけ連絡を寄こす相手への文章がある。

「もう会うのをやめたい」

 相手に恋人がいるわけでも、嘘をつかれたわけでもない。ただ、会うのはいつも向こうの都合が空いた深夜で、朝になれば次の約束は決まらない。笙子も気楽でいいと言って始めた関係だった。だから寂しいと認めたほうが負ける気がして、半年続けてしまった。会った翌朝ほど、次の連絡を待つ自分が嫌いになった。

 店主は缶の蓋が緩くないか確かめ、会計台へ置いた。包装紙を出したが、笙子がすぐ開けたいと言うと、紙を戻す。商品を飾るための余計なリボンもつけず、レシートと一緒にそのまま渡した。

 笙子は蓋を開けた。白い薄荷糖が整然と並び、冷たい香りが立つ。一粒を口へ入れると、舌の上が急に静かになった。

「閉店ですよね」

 店主は頷き、レジの引き出しを閉めた。ただ、笙子が立ち上がるまでは入口の灯りを消さなかった。

 笙子は薄荷が溶けるあいだ、文章を読み直した。

「嫌いになったわけじゃない」

「私も最初はそれでよかった」

「忙しいのは分かってる」

 送らなくても済むための説明が、後ろに長く続いている。笙子は一行ずつ消した。最後に残ったのは、最初の一文と、「私は、次の約束を昼に決められる関係がいい」だった。

 薄荷はだんだん小さくなり、強い冷たさだけが喉へ移った。

 完全に消える直前、送信する。

 既読はつかない。相手が何と返すかも分からない。引き止められれば揺れるかもしれないし、あっさり了承されれば傷つくだろう。

 店主は店内の灯りを一つ落とした。笙子は缶の蓋を閉める。金属の乾いた音が、言い訳のない文末のように響いた。

 口の中から甘さも冷たさも消えたころ、笙子は席を立った。

 寂しさは残っている。けれど、それを隠すための待ち時間だけは、今夜で閉店にしてよかった。