蟹味噌の小さな火

引っ越した友人から届いた箱を、二週間開けていなかった。

大学から四年住んだ部屋を、友人は先月出ていった。転勤先は飛行機で二時間。駅で見送ったときは「また遊ぼう」と笑えたのに、帰宅して一人分広くなった部屋を見た瞬間、何もする気がなくなった。届いた箱には、置いていった物か、餞別の返しか、手紙が入っているらしい。送り状の品名欄には『雑貨』とだけある。ガムテープの端を何度も爪で起こし、そのたびに押し戻していた。

残業帰り、初めて入った居酒屋には、無口な常連が一人いた。小さな卓上火鉢へ手をかざし、火が弱くなると炭を動かさず、じっと赤みを見ていた。

蟹味噌の甲羅焼きを頼んだ。甲羅の下で火が揺れ、味噌がふつふつと小さな泡を作る。磯の濃い匂いと、焼けた甲羅の香ばしさが立ち、木の匙を入れると熱い湯気が細く上がった。

味は濃く、最初の一口で酒が欲しくなるような塩気だった。舌の上では苦みも甘みも分かれず、あとからゆっくり広がった。

卓上火鉢の炭が暗くなる。常連は帰るのかと思ったが、掌を近づけ、まだ残る熱を確かめた。

店主が甲羅を見ながら言った。

「火を止めても、しばらく熱いよ」

友人がいなくなったことを、僕は終わったことにしたかった。箱を開ければ、部屋に残った時間まで動き出しそうで怖かった。けれど開けない箱も、床の隅で毎日場所を取っている。

明日の朝、出勤前に箱を開ける。中身を写真に撮り、友人へ届いたと連絡する。箱の中身が思っていたものと違っても、開けたことを後悔するかもしれない。寂しいとはまだ書けないかもしれない。次に会う日も決められない。それでも、受け取ったことだけは伝える。

常連は火鉢から手を離し、黙って店を出た。炭はほとんど黒かったが、近くへ指を置くとまだ温かそうだった。

最後の蟹味噌は、火を止めたあと少し固くなっていた。匙でこそげると甲羅の香りが強く、舌へ置けばまた柔らかく溶けた。濃い塩気と小さな熱が、空いた部屋の広さを埋めずに、ただ掌ほどの場所を温めた。