記憶の下取り

御代田玲士は、百二十歳まで生きる契約をした。

人工臓器の交換費用は高かったが、長寿医療院には記憶の下取り制度があった。使わなくなった過去を売れば、治療費から差し引かれる。

玲士はまず、小学校の六年間を売った。次に、最初の職場、若いころの旅行、亡父との喧嘩。どれも今の生活には不要だとAI査定士が判断した。身体は若返り、口座残高も保たれた。

九十歳を越えたころ、妻が亡くなった。葬儀費用のため、新婚旅行の記憶を売った。悲しみは薄れ、玲士は「前向きな高齢者」として広告に起用された。

百歳の誕生日、孫が古い写真を持ってきた。浜辺で笑う妻と玲士が写っている。

「おばあちゃん、どんな人だった?」

玲士は答えられなかった。名前や経歴は知っている。しかし、なぜ結婚したのか、声を聞くとどう感じたのかがない。

孫は泣いた。玲士には、その涙の理由も理解できなかった。

医療院は次の心臓交換に、残りの家族記憶を提案した。息子の誕生、孫を初めて抱いた日。市場価値が高く、一度に二十年分の治療を賄えるという。

契約室で、玲士は自分の記憶一覧を見た。ほとんどが灰色の「売却済み」だった。残っていたのは、今朝の薄いスープ、廊下の消毒臭、次回検査の予定。長く生きるために、長く生きた理由をすべて手放していた。

彼は契約を拒否した。

医師は、治療をやめれば一年以内に死ぬと告げた。玲士は初めて怖いと思った。だが、その恐怖だけは自分のものだった。

退院後、孫と海へ行った。写真と同じ場所は再開発されていたが、潮の匂いを嗅いだ瞬間、売ったはずの記憶の残響が胸をかすめた。妻の顔ではない。ただ、隣に誰かがいたときの安心だった。

玲士はそれを記録しなかった。

百二十年の契約を解約し、残りの一年を孫の家で暮らした。毎朝、昨日の出来事を紙へ書いた。売らないためではない。忘れても、今日また誰かと作れるようにするためだった。

彼の人生は短くなったが、最後の一年だけは下取り価格のつかないほど、本人にしか使えない時間になった。