輪転機の止まる音
午前三時、鏡味葵生は輪転機のインクを止めた。
地方紙の朝刊を刷り終えた直後だった。配達区域ごとに束ね、欠けがないことを確認してから、葵生は運転日誌の横へ退職届を置く。大雨警報の記事が載る大切な朝刊だったため、全員が最後の配達まで終えると決めていた。読者を置き去りにせず、読者を軽んじた経営だけを置いていくためだった。配達員たちは高齢者宅のポストまで確認し、未配の束を一つも残さなかった。
印刷、配送、広告、編集補助。夜明けまでに六十一人が同じ紙を提出した。
赤星礼央社長は眠そうな顔で工場へ来た。
「新聞なんて機械が刷る。配るのは学生でもできる。明日の朝には全員入れ替える」
赤星は人を減らすたび、残った者の区域を広げ、深夜割増を消した。事故で休んだ配達員には、代配費を給料から引いた。
葵生は輪転機を見上げた。
「明日の紙面は、ここでは刷れません」
「記事も顧客名簿も会社のものだ」
そのとき、地元の広告主と自治体の広報責任者が工場へ入ってきた。災害情報や選挙公報を載せる契約を、本日付で解除するという。
「代わりはどこだ」
「鏡味さんたちの新しい地域メディアです」
閉鎖された隣町の印刷工場を、社員たちと読者が共同出資で再稼働させていた。記者も配達員も移り、購読者の多くが自分で新媒体へ申し込んでいる。
赤星は机を叩いた。
「うちの歴史を盗むな」
広告主は首を振った。
「歴史を毎朝届けていた人たちと契約するだけです」
労働基準監督署の職員が到着し、輪転機の稼働ログと給与台帳を照合した。紙の勤怠表は午前零時で終わっているのに、機械は三時まで毎日動いていた。
主要広告の解約を知った銀行は、輪転機を担保にした融資の期限延長を拒否した。紙代の支払いも滞っており、翌月号を刷る資金はない。
東の空が明るくなる。新媒体の創刊号を積んだ車が、隣町から各区域へ走り出した。
葵生は旧工場の主電源を落とす。
輪転機が完全に止まった瞬間、赤星の会社の百年は終わり、配達員たちの一日目が始まった。