退職面談の白い耳
宇津木朝子は、白い狐耳を鞄へ押し込み、退職願を握って面談室へ入った。
匿名の社内通報があったのは前日だった。上司から面談予定だけ告げられた夜、朝子は退職願を書き、衣装箱の中へ会社の名札をしまうところまで想像した。《宇津木社員が派手な格好で金銭を受け取り、副業をしている》。添付された写真には、イベント会場で狐の巫女を演じる朝子と、写真集を手渡す場面が写っていた。
写真集は仲間内で制作費を割っただけで、利益はない。
説明できる。だが、一人ずつに写真の事情を語り、狐耳の自分が「普通かどうか」を審査されるくらいなら辞めたほうが早いと思った。
人事担当は、通報文と就業規則を机に並べた。
「確認したいのは収益と、会社名を使った活動かどうかです」
朝子は領収書と収支表を出した。売上より印刷費が多く、勤務先は一度も公表していない。
「規則上の副業には当たりません」
人事担当は書類を閉じた。
「趣味そのものについて、会社が許可や不許可を出す立場でもありません」
朝子の鞄から、押し込んだ狐耳が片方だけ飛び出していた。
人事担当はそこを見たが、笑わなかった。
「もう一つ。写真は非公開アカウントから転載された可能性があります。通報者へ、業務と無関係な画像の再共有をしないよう通知します。必要なら閲覧範囲も限定します」
人事担当は狐耳から目を外し、規則の該当箇所だけを指した。朝子は退職願の角を指で折った。
趣味がばれたことより、知らない誰かに説明の主導権を奪われたことが苦しかったのだと分かった。
「部署には、どこまで伝わりますか」
「業務上問題なし、までです。内容を話すかは宇津木さんが決めてください」
「では、それだけでお願いします」
面談を終え、朝子は廊下のごみ箱の前で立ち止まった。
退職願を破る。次に、狐耳を鞄の底へ戻そうとしてやめた。白い耳を布袋へ入れ、持ち手に結ぶ。
秘密がなくなったわけではない。
秘密を持つ権利が、自分の手へ戻ったのだ。朝子は白い耳を揺らしながら、自分の席へ戻った。